浅田飴と篤姫の意外な関係
せきやのどが痛いときにとっさに口に含む飴といえば、きっと多くの人が浅田飴を思い出すのではないでしょうか。それくらい浅田飴というものが日本人にとって常備薬となっている心の薬だといえます。
そんな浅田飴が誕生したのは1887年(明治20年)、東京・神田でせきやたん、滋養強壮の薬として売り出されました。当時の名前は「御薬さらし水飴」となんだか重苦しいネーミングでした。それにはきっちりと理由がありました。
それは、将軍家や宮内省にも仕え天璋院篤姫にも重用された最後の漢方侍医である浅田宗伯が大正天皇に処方した薬だったからです。その浅田に仕えていた堀内伊三郎が処方を教えてもらって売り出したのですが、なかなか売れません。
それが売れ始めたのは息子の伊太郎の頃でした。まず名前を「御薬さらし水飴」からシンプルに「浅田飴」にし、様々なマーケティングを行ないます。
「すきはらにめし たんせきに浅田飴」
「良薬にして口に甘し」
これは伊太郎たちが考えたキャッチコピーです。今聞いてもなんだか斬新な感じがする素晴らしい謳い文句だと思います。丁度この頃(1920年)スペイン風邪が大流行したのも後押しをした要因だと考えられています。
数多くののど飴が発売されているにも関わらず、浅田飴は医薬品として売り出されている数少ないのど飴といえます。それは、120年以上人々ののどを守り続けたという自信と実績から来ているのかもしれません。今年も一家に1つは常備しておく必要がありそうです。
【参考】be on Saturday 2010年10月2日
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