物語は従軍篤志看護婦として広島陸軍予備病院で必死に看護する八重の姿から始まります。この辺りの姿は、戊辰戦争で多くの負傷兵を日新館で看護した姿に完全に重なります。時代は違ってもその人の根本的なところは変わらないのかもしれません。その当時からさらに進んでいるのが「敵も味方もなく看護する」という精神。相手が清国の兵士であっても、傷ついた者には平等に看護するという考え方は、この時を初めとして日本でも根付いていったのかもしれません。
その日清戦争を大陸で指揮するのが大山巌。坂の上の雲を見ていたので、その後の日露戦争での旅順攻略がとても厳しいものであったという印象を持ってみていたのですが、日清戦争では比較的たやすく攻略することができたようです。そういった軍事状況を鼓舞していたのが新聞社であり、その中心的な一人が徳富でした。新島襄の教え子でもある彼は、世論という目に見えないものを大きく動かす力を持っていて、八重はそれをどのように使うつもりなのか、厳しく問いだたします。この問は未だに答えが出ていない現代にも通じる宿題事項なのではないでしょうか。そんなことを考えさせられます。
気持ちが整理するために八重が向かったのがやはり、会津。そこには頼母がいました。いつの時代も必死に生きようと努力し、そして笑顔を保とうと努力する人々がいる。八重は、まるで桜であり散っても散っても、また次に咲き誇りなさいと諭します。西田敏行さんはさすがという演技で、物語を上手くしめてくれたような気がします。
ここで八重桜とは、この辺りから来ているのではないかと思って調べてみたのですが、実際にはそうではないようで、少し残念。それでもそう思わせるほどの素晴らしい人生を歩まれてきたんだと知ることが出来て、本当に良かったと思います。
さて、次回からは黒田官兵衛。戦国時代にまた戻ってきました。岡田准一さんの演技に期待したいと思います。
◆八重の桜紀行◆
京都府京都市
福島県会津若松市