あしたまにあーな

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あしたまにあーな > 竹中直人


軍師官兵衛 第34回「九州出陣」

2014年8月 24日 By: rainbow Category: 日記 No Comments →

自分がこれまで歴史を学んできたなかで、ここからしばらくの話はさくっと流され「豊臣秀吉は島津を破って九州征伐を完了させた」程度しか知識がありません。その状況下において、大友宗麟に頼み込まれて九州攻めの決断を下しながらも家康の動きが気になって仕方がないため、結果的に秀吉は自分の母を人質として差し出してまで忠誠を誓わせます。

そしてなんといっても今回最大の見せ場は毛利軍の中枢である吉川元春でしょう。前々からこの物語に登場する毛利勢は素晴らしい演技をする人が多く、鶴見辰吾さんが演じる小早川隆景に密かにファンになっていたりもします。そんな毛利の中でこれまで硬派であった吉川元春は、先の備中高松城攻めで清水宗治を亡くしてしまったことに対して官兵衛に不信感を募らせていたこともあり、九州攻めに向かうのをためらっていました。

その吉川元春に直接話を付けようとする官兵衛。元春の命を自分に預けて欲しいという大胆な告白をしながらもこの場はあっさりと立ち去られてしまいます。これでもうダメかなと思っていた矢先、陣地にはきちんとやってくる吉川元春。このシーン、どこかで見たことがあると思っていたら丹羽長秀が登場する山崎の戦い前でした。デジャブ?感を思いっきり感じながら、こういったシーンは後何回続くのだろうと思ってしまいます。感動的なシーンもこのように続くと、ちょっと冷めてしまうと言う人も多いのではないでしょうか。

以前の丹羽長秀はひとたび合戦になるとほとんど存在感を感じることがありませんでしたが、今回の吉川元春はきちっと軍を束ね、島津に対峙していました。しかし、病というのは本当で小倉城内において人生の幕を下ろします。吉川元春の命を官兵衛が上手く使えたのかどうかは、次回になってみると分かるのかもしれませんが、一つ言えることはこれで毛利と豊臣、黒田の結束は高まったということでしょう。毛利の大将の登場は殆どありませんでしたが、今回は吉川元春の勇姿を思いながら、考えないことにしたいと思います。

◆官兵衛紀行◆
福岡県北九州市
 - 小倉城

福岡県築上町
 - 宇留津城跡

軍師官兵衛 第33回「傷だらけの魂」

2014年8月 18日 By: rainbow Category: 2014年_軍師官兵衛 No Comments →

最近のドラマを見ていて感じる事があるのですが、今回のドラマは歴史上の大きな出来事を大きく取り扱うのではなくさらりと流して、官兵衛にまつわる人物を中心にじっくりと描いているように見えます。それは評価を二分してしまうリスクも持っていて、「よくわからない」「つまらない」というネガティブな感想を生み出す可能性もあれば、「今まで知らない世界を見ることができた」「新鮮である」といったポジティブな要素もあるでしょう。前半の軍師官兵衛はまさに前者であったのだと思いますが、最近の評価を見てみると徐々に後者に流れていっているのではないでしょうか。

そんなことを感じたのは今回道薫(村重)の心の揺れ動きを、これでもかというくらいじっくりと描いていたことにあります。官兵衛の家で働いていた家来が村重の子供を預かっており、その子供は後の岩佐又兵衛であり天下に名をとどろかす絵師になったといいます。この子が村重と実際に今回のように会ったかどうかはわかりませんが、感動的な場面となりました。千利休が言っていた道薫の心の迷いは次第に消え、また生きて行こうという希望を持って、さらに子供も応援しながら姿を消していきます。この描写は見事で、見るものを惹きつけたのではないでしょうか。

これまで荒木村重と黒田官兵衛の関係は有岡城の幽閉によって最悪であるという考え方が一般的でしたが、このドラマを見て思うのは、決してそうとは言い切れないという希望でした。史実通りではないかもしれませんが、見るものにそんな希望を持たせてくれるのは素敵なことだと思います。

秀吉と官兵衛の関係は徐々に冷たい空気が流れ始めていくことになります。石田三成のような従順な家臣の方が天下人としては都合が良くなるのは当たり前で、官兵衛が冷遇されるようになるのは時間の問題でしょう。そんな状況の中で官兵衛はキリシタンの洗礼を受けることになります。官兵衛の心は何を求めているのか、その答えを探しつつ次回を楽しみにしたいと思います。

◆官兵衛紀行◆
大阪府大阪市
 - 大坂城跡(大阪城公園)

軍師官兵衛 第32回「さらば、父よ!」

2014年8月 10日 By: rainbow Category: 2014年_軍師官兵衛 No Comments →

徐々に官兵衛から離れ三成の方によっていく秀吉の片鱗を見ることができます。小牧長久手の戦いは官兵衛にとっては直接関係のない出来事だったので軽く扱われていましたが、惨敗した後に三成は面目を保つために再度家康と戦うことを進言。それに対して官兵衛は家康の強さを分析し、兵力の問題ではなく機が熟していないと判断し敗退するのですが、どちらが理路整然としているかは一目瞭然であり、三成に従っていれば秀吉の天下は志し半ばで終わっていたかもしれません。

やはり石田三成という人物は与えられた仕事を完璧にこなす能力は高いのですが、軍師としての素質はそこまで高くなかったのではないかと思います。今回はギリギリのところで秀吉が官兵衛の意見を取り入れるのですが、官兵衛の先を見据える能力を少しずつ恐れ始めている様子が分かります。いずれこの問題は大きくなっていくのでしょう。

一方黒田家では2つの出来事が起こります。一つが長政が播磨・山崎の統治を任され努力するのですが、もともと新しい領主にはなかなか心を開かない領民に苦労しあるとき刀に手をやってしまったことで噂が広がりますます窮地になってしまいます。それを優しく手助けしたのが職隆でした。昔話をしながら急がずにゆっくりとやればいいと諭します。こういった優しい語り口なのは柴田恭兵さんならではでしょう。昔のあぶない刑事の頃にはなかった良い感じが出ているような気がします。

そんな職隆も孫達が遊ぶ庭でにこやかにしながら穏やかにこの世を去っていきます。この亡くなり方は大河ドラマではおなじみで過去に同じような設定で亡くなっていった人はかなりいたりしますが、若干不自然さは残るものの、見ている側に「良い人世だったね」と思わせるには十分な演出と言えるでしょう。

官兵衛を表裏で支えた父親が亡くなっていくのですが、官兵衛は後は任せろといいながら泣き崩れることもなく志を新たにしている姿はさすがだと感じます。次回からはますます秀吉との関係は冷めていくことが想定されますが、それに負けずに支えていって欲しいと思います。

◆官兵衛紀行◆
兵庫県宍粟市
 - 山崎城

兵庫県姫路市
 - 黒田職隆廟