軍師官兵衛 第32回「さらば、父よ!」
徐々に官兵衛から離れ三成の方によっていく秀吉の片鱗を見ることができます。小牧長久手の戦いは官兵衛にとっては直接関係のない出来事だったので軽く扱われていましたが、惨敗した後に三成は面目を保つために再度家康と戦うことを進言。それに対して官兵衛は家康の強さを分析し、兵力の問題ではなく機が熟していないと判断し敗退するのですが、どちらが理路整然としているかは一目瞭然であり、三成に従っていれば秀吉の天下は志し半ばで終わっていたかもしれません。
やはり石田三成という人物は与えられた仕事を完璧にこなす能力は高いのですが、軍師としての素質はそこまで高くなかったのではないかと思います。今回はギリギリのところで秀吉が官兵衛の意見を取り入れるのですが、官兵衛の先を見据える能力を少しずつ恐れ始めている様子が分かります。いずれこの問題は大きくなっていくのでしょう。
一方黒田家では2つの出来事が起こります。一つが長政が播磨・山崎の統治を任され努力するのですが、もともと新しい領主にはなかなか心を開かない領民に苦労しあるとき刀に手をやってしまったことで噂が広がりますます窮地になってしまいます。それを優しく手助けしたのが職隆でした。昔話をしながら急がずにゆっくりとやればいいと諭します。こういった優しい語り口なのは柴田恭兵さんならではでしょう。昔のあぶない刑事の頃にはなかった良い感じが出ているような気がします。
そんな職隆も孫達が遊ぶ庭でにこやかにしながら穏やかにこの世を去っていきます。この亡くなり方は大河ドラマではおなじみで過去に同じような設定で亡くなっていった人はかなりいたりしますが、若干不自然さは残るものの、見ている側に「良い人世だったね」と思わせるには十分な演出と言えるでしょう。
官兵衛を表裏で支えた父親が亡くなっていくのですが、官兵衛は後は任せろといいながら泣き崩れることもなく志を新たにしている姿はさすがだと感じます。次回からはますます秀吉との関係は冷めていくことが想定されますが、それに負けずに支えていって欲しいと思います。
◆官兵衛紀行◆
兵庫県宍粟市
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