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八重の桜 第41回「覚馬の娘」

2013/10/14 Category: 2013年_八重の桜

今回は非常に見応えのある内容となりました。政治の表舞台では自由民権運動が盛んになり、京都府議会での槇村と覚馬の戦いも激しさを増すようになります。今までの政治の考え方では槇村が言うように「議会は知事のいうことに従っていればいい」という考え方になって当然であり、その流れになりそうな状況下で覚馬は新聞という世論に訴えるという方法で、徹底抗戦します。結果として、世論は覚馬に味方し、全国に京都での知事の横暴が暴かれることになって行くのです。このあたりに、明治という時代の新しさと、声を上げれば世の中は変わるんだという民衆の思いを感じることが出来ます。

また、山本家ではみねが伊勢時雄からプロポーズされ、小さい頃から婿をとって山本家を存続させるように言われてきた自分との葛藤に苦しみます。その苦しみの拍車をかけたのが覚馬の嫁に行けばいいという発言。完全に自分は山本家にとっていらない存在なんだと思い込むことになってしまいます。昔の覚馬ならいざ知らず、寡黙な覚馬になっている状況なのでこれでは伝わるものも伝わりません。

八重が仲介し、覚馬の真の意図を伝え、これまでのことは忘れて自分がこれからの未来は好きなように生きていけばいいと諭します。この辺りも江戸時代にはなかった考え方でしょう。じっくり考え抜いて迎えた次の日の弁論大会で愛を語る伊勢時雄の番のときにドラマティックにみねが登場し、覚馬の隣に座って嫁に行くことを宣言。覚馬はしずかに「決めたのか。何かあったら大声で呼べ。そうしたらおとっつぁまがかけつけてやるから」と語ります。この辺り、完全にグッと来てしまいました。伊勢時雄の愛に関する弁論は完全に2人から無視される状況となったわけですが、それでも未来が明るいといいなと切に願ってやみません。

さて、次回は故郷である会津にみんなで出かけるという話だそうです。みねもおっかつぁまに出会うこと場面など楽しみで仕方ありません。来週までじっくりと待ちたいと思います。

◆八重の桜紀行◆
京都府京都市
 - 新京極通

今回は非常に見応えのある内容となりました。政治の表舞台では自由民権運動が盛んになり、京都府議会での槇村と覚馬の戦いも激しさを増すようになります。今までの政治の考え方では槇村が言うように「議会は知事のいうことに従っていればいい」という考え方になって当然であり、その流れになりそうな状況下で覚馬は新聞という世論に訴えるという方法で、徹底抗戦します。結果として、世論は覚馬に味方し、全国に京都での知事の横暴が暴かれることになって行くのです。このあたりに、明治という時代の新しさと、声を上げれば世の中は変わるんだという民衆の思いを感じることが出来ます。

また、山本家ではみねが伊勢時雄からプロポーズされ、小さい頃から婿をとって山本家を存続させるように言われてきた自分との葛藤に苦しみます。その苦しみの拍車をかけたのが覚馬の嫁に行けばいいという発言。完全に自分は山本家にとっていらない存在なんだと思い込むことになってしまいます。昔の覚馬ならいざ知らず、寡黙な覚馬になっている状況なのでこれでは伝わるものも伝わりません。

八重が仲介し、覚馬の真の意図を伝え、これまでのことは忘れて自分がこれからの未来は好きなように生きていけばいいと諭します。この辺りも江戸時代にはなかった考え方でしょう。じっくり考え抜いて迎えた次の日の弁論大会で愛を語る伊勢時雄の番のときにドラマティックにみねが登場し、覚馬の隣に座って嫁に行くことを宣言。覚馬はしずかに「決めたのか。何かあったら大声で呼べ。そうしたらおとっつぁまがかけつけてやるから」と語ります。この辺り、完全にグッと来てしまいました。伊勢時雄の愛に関する弁論は完全に2人から無視される状況となったわけですが、それでも未来が明るいといいなと切に願ってやみません。

さて、次回は故郷である会津にみんなで出かけるという話だそうです。みねもおっかつぁまに出会うこと場面など楽しみで仕方ありません。来週までじっくりと待ちたいと思います。

◆八重の桜紀行◆
京都府京都市
 - 新京極通




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