あしたまにあーな

毎日の生活に ほんのちょっとのうるおいが 届きますように



虐待や体罰の必要性は?

2010年8月 24日 By: rainbow Category: 子育て No Comments →

最近世の中を賑わしている幼児に対する様々な仕打ち。幼い兄弟を残して数ヶ月家に帰らない、子供をベランダで生活させ1日の食事はおにぎり1個。同じ子供を持つ親として、胸が締め付けられるようなニュースが氾濫しています。

自分が小さい頃を思い出してみると、普通に親に殴られたり叩かれたりすることがありました。親だけではなく、学校の先生から本でたたかれたりすることもあり、ある意味それが当然と思っていました。そういったことに対して体罰や虐待と考えられていなかった頃だったというものあるでしょう。

朝日新聞のモニター調査によると、約6割の人が親による子供への体罰は必要であると答えています。その理由として挙げられているのが、口で注意しても分からない、親の怒りを明確にできる、痛みを知れば他人に優しくできる、というもの。

一方で、虐待や体罰をしている親の回復支援団体「My Tree ペアレンツ・プログラム」副事務局長の中川和子さんは、体罰は一害あって一利なしと説明しています。その理由は以下の通り。
・大人の感情のはけ口になることが多い
・恐怖感で子をコントロールする
・他のしつけの方法を考えなくする
・子の成長などに伴って暴力がエスカレートする
・体罰を見た他の子にも心理的ダメージを与える
・取り返しのつかない事故になる恐れがある

このように体罰に対して反対の立場の人もいれば、それを容認する人たちも一方でいます。体罰を加えることによって関係が深まることもあれば、逆に関係が断絶してしまうこともあります。その境目には何があるのでしょうか。

自分は、子供を一人の大人としてしっかりと説明する責任を、全うしているのかどうかが分かれ目だと思っています。大人でも日常生活で突然酷い仕打ちを受けたとしたら当然反発するでしょうし、そんな人と一緒にいたくないと考えるでしょう。ところが、予めやってはいけないというルールや取り決めをしていたのであれば、それを破った自分に何らかの罰が加わっても、きちんとなぜそうされたのか説明を受けることによって納得すると共に、しっかりと見ていてくれていると思うでしょう。ポイントはそこにあると思います。

子供だからといって、ただ押しつけるだけの罰や言葉は、逆効果であり意味を成しません。だからといって放置しているのであれば、子供からは自分を見ていてくれていないと疎外感を感じることでしょう。一人の対等な相手として、子供ときちんと話をすることができ、相手がなぜそのように思ったのか、そうしてしまったのかを聞くこと、そしてルールを破っているのであればきちんと筋道たてて説明し、最悪のケースでは罰を加える。そのプロセスを経る必要があるのです。

一概に「体罰=悪」と結びつけるのではなく、子供と一緒に成長するために、人生の先輩として子供のために何ができるのか、今一度見つめ直してみるいい機会になるでしょう。

【参考】be on Saturday 2010/08/21

しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじ しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじ
(2003/04)
森田 ゆり

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サイクリング特訓中

2010年8月 23日 By: rainbow Category: 子育て No Comments →

連日暑い日が続いていて、日中帯に外に出るとものの数分で汗が噴き出し家に帰りたくなります。子どもの頃は、全然平気だった暑さに耐えられなくなったのは歳を取ったからなのか、温暖化が進んだからなのか定かではありませんが、自分のなかでは後者だと信じ切っています。

そんな暑さも一段落する夕方4時頃。購入した自転車にチャレンジさせようとして子供と一緒に家を出ることにします。丁度涼しい風も吹き出し気持ちよく子供にヘルメットを装着し、後ろに取り付けた補助ハンドルをつかみながら、近くの生田緑地へ出かけることに。

平坦な道が続き、子供もノリノリでペダルをこぐようになりました。始めて数週間にしては上出来です。ハンドルの操作も家での暴走車の運転で慣れているのかスムーズです。

今回のトレーニングで彼の弱点が見えてきました。

1.後ろで補助ハンドルを持ってもらっていることを確認できないと運転できない
→ことある事に後ろを振り返り支えてもらっていることを確認します。片手で持つなど適当さ加減が伝わるとすぐにブレーキを掛けて降りてしまいます。

2.興味が色々なところにあるので前を向かないことが多い
→いいことなのですが、どんどん方向がずれていきます。都度「前を向いて」と注意して修正を促します。

3.下り坂は危ないらしく降りてしまう
→スピードも出てしまうので仕方ありません。ただ降りるだけでなく、自分に代わって乗るように促します。結局下り坂は自分が自転車に乗り、補助ハンドルを子供が支えながらキャッキャと降りている怪しい親子の構図が完成することになります。周囲からの視線が痛かった・・・

4.特定の怖い道があるらしく、決して通ろうとしない
→「街灯が壊れているから通っちゃダメなんだよ」と昼間にもかかわらずおっしゃって決して通ることのない場所があります。この場所を通った方が家に近いので、促すのですが彼の決心は強いらしく決して通りません。何かトラウマがあったに違いありません。もちろん彼は多くを語らないのですが。

5.犬が怖い
全然自転車とは関係ないのですが、夕方になると犬の散歩をしている方が多くいらっしゃいます。前方にそういった方を発見すると「犬怖い」といってブレーキ。視線から消えるまでじっとしています。しかし次第に追い抜いて逃げるという方法を発見したらしく、全力でペダルを踏み「逃げろ逃げろ!」と叫びながら追い越していきます。こっちが恥ずかしくなるのですが、彼は追い越せたことに満足顔です。

このように、一緒に自転車で遊んでいると様々な発見と彼の考えが分かって面白いのです。いずれは一緒にサイクリングできる日を夢見ながら、特訓の日々は続きます。

3歳の誕生日と繰り返すケーキ点火

2010年8月 18日 By: rainbow Category: 子育て No Comments →

2歳からの1年は、1歳からの1年と同じようにものすごい勢いで過ぎ去っていったのですが、奥さんと二人でビデオを見ていると外見の成長よりも内面の成長が著しい一年になったような気がします。

去年まで話せなかった会話を普通に話すようになれたし、自分たちが子供にお願いすることもきちんと理解して行動することができるようになりました。きっともっと来年の今頃は、普通に幼稚園生として幼稚園であった出来事を嬉しそうに話してくれるようになっていると思うと、なんだかすごく楽しみで仕方ありません。

平日となった彼の誕生日となり、会社を早めに早退して銀座コージーコーナーでフルーツケーキのホールを購入し、急いで帰宅すると彼は嬉しそうに「おかえり!」と挨拶してくれます。

めざとくケーキを見つけ「パパ、何買ってきたの?」と話す彼。この時夕ご飯がまだでしたが、もはやご飯の前にこの彼の興味であるケーキについて触れないと彼は暴動を起こすことは目に見えていたので、急いでバースデーセレモニーの準備を。

3本のろうそくと「3」の数字が書かれたろうそくをケーキにさして、点火すると彼はすぐに電気を消して、ニコニコしながらバースデーソングを歌い始めます。そして勢いよくろうそくを消して「おめでとう」と終わるのだと思っています。ところがまだ自分たちは、まだこの後延々と続くこのセレモニーを知るよしもありませんでした。

電気を付けてケーキを食べ始めようとする自分たちを体で阻止し、「もう一度ふーってする!」と叫び始めます。早くケーキを食べたいので説得を試みるも彼はかたくなにもう一度ケーキへの点火を切望します。とうとうそれに折れた奥さんは再度点火して電気を消してセレモニーを。まるでデジャブのような光景が再び目の前に広がります。この後同様の動きをもう一度繰り返することになりました。

食べ終えた後、ろうそくはドロドロになってしまったので捨ててしまった後にも彼はまた同じことを言い出します。仕方がないのでろうそくの代用としてマッチで2回、爪楊枝で2回。またもやデジャブが目の前に広がります。

そうでした。彼はこのケーキに刺さったろうそくの火を消す行為をベネッセの教材で何度も繰り返し、イメージトレーニングをしていたのでした。その当日が今日だったのです。あまりに嬉しかったのか、いつもきちんと自己申告してトイレに行くのですが、それも忘れてお漏らしを2回もしてしまいます。今日だけだと信じたいものです。

3歳は、幼稚園にも入るし彼の生活環境はどんどん変化していくことでしょう。これまでよりも、自由に色々なことが一緒にできるようになると思うと、今から楽しみです。今までできなかったことが確実にできるようになっている子供を、ろうそくの向こう側に眺めていると、なんだかその成長とこれからできる無限の可能性に思わず涙が出てきてしまいました。

これからの一年間が、彼にとって最高の一年になるように親として全力で引き続き応援していこうと強く思った一日となりました。