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京都千年の歴史が育む町家のメカニズム

2009/07/06 Category: 環境問題

京都市の中心に今も残り続けている町家の風景は日本人であることを再認識させてくれる町並みです。町家とは主に100年以上続く商人の家のことを指し、間口が狭く縦に細長い家の造りが特徴で「うなぎの寝床」とも言わ、1000年以上前から存在したといいます。

その町家には実に数多くの生活の知恵が隠されています。その知恵は先祖代々受け継がれ、時々で更新されてきた結果、実に合理的で経済的な衣食住を支えるものとなったのです。今日はその京の町家の驚異的なメカニズムとそこに潜む町家の知恵を、綾小路通りにある杉本家住宅に代々伝わる古文書「歳中覚」を中心に紹介したいと思います。

◆食の知恵
「朝夕茶漬香物 昼一汁一菜」
朝と晩はお茶漬けだけ、昼は御飯とおかず、汁ものを一品ずつ食べなさいとあります。商人らしく忙しい中、効率的にかつ経済的に食事をする質素倹約が根付いているのです。その献立や始末(ものを捨てずに使い切ること)は今も受け継がれています。今言われている「もったいない精神」はすでに町家の中で実践されていたのです。

◆防災の知恵
町家はお互いに密集して建っている木造建築物にも関わらず、火事が燃え広がることが少ないという不思議な空間です。町家が密集して建っているのは豊臣秀吉が再構成したことに由来するそうなんですが、そういった火事の危険性に対してそこに暮らす人の知恵で火事を防いできました。大火の発生数でいうと江戸が約250年間に100回以上発生していたのに対して、京都は約1200年間に30回程度と少ないことからも、いかにこの街が火事を防いできたかが分かると思います。その町家の火事対策は以下の通りです。
・うだつ
となりの家との境目に壁を作り、火が燃え広がるのを防ぎます。
・蔵の設置
となりの家との間に蔵を作ることによって、防火壁の役割を果たしています。
・2階部分を低く抑える
となりの家からの火は放物線上に上へ舞い上がります。自分の家の高さを低く抑えることによって、となりの家から出た火の下に2階部分がくるように低く抑えることによって燃え移りにくくしているのです。
・心構え
代々伝わる古文書によって火事に対する未然予防の精神を忘れていないことが一番大きいのかもしれません。

◆地震の知恵
町家は阪神淡路大震災の際にも大きな被害を受けなかったというほど、大きな地震に対する耐震性にも優れています。そこには、町家ならではの地震に対する向き合い方がありました。以下に一般の木造住宅と町家でどのように構造が異なるか見てみます。
・一般の木造住宅
地面と金具でしっかりと止め、筋交いによって柱を固定することによってそもそも揺れないような考え方をしています。ある程度までは揺れを抑えることができるのですが、一定以上の揺れになると揺れを支えきれずに倒壊してしまいます。
・町家
大黒柱は地面に置いてある石に乗っているだけで、壁を支える柱である貫もしっかりと固定されておらず隙間があります。ここには地震の揺れを足下に逃がしてやるという考え方なので、全体が揺れながらもその揺れを分散させる免震構造になっていたのです。

◆避暑の知恵
京都は盆地であることから夏は蒸し暑くなります。その暑さを町家は独自の知恵と構造で涼しさを得て、過ごしやすい空間を作り出しているのです。ポイントは、家の中心にある中庭にありました。中庭は店と母屋に囲まれているのですが、店と母屋の屋根に太陽の日差しが降り注ぐことによって、空気が暖まり、中庭付近に上昇気流が生じます。この上昇気流によって、中庭の空気がなくなるので部屋の至る所から空気が中庭に向かって流れていくのです。中庭に面した障子を取り除くことで、この流れを生むことができ、自然のクーラーとなるのです。

このように町家は生活の中から過ごしやすく生きていくために、建物と人とが一体化した空間であり、それは1000年にもわたって京都という街にカスタマイズされてどんどん進化をした結果生まれた究極の生きる知恵なのです。そこには節約や倹約といった住む人の心が息づいています。

便利さを追求し自然を凌駕する生活をしている現代において、そのひずみは徐々に大きくなりつつあります。そんな時代だからこそ、町家の暮らしを再度見つめ直し、取り入れるべき知恵があるのではないでしょうか。

【参考】素敵な宇宙船地球号 2009年7月5日

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