あしたまにあーな

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江 -姫たちの戦国- 第34回「姫の十字架」

2011年9月 04日 By: rainbow Category: 2011年_江 No Comments →

今回ははじめから細川ガラシャフラグが立ちまくっていて、結果的にキリシタンの教え通りに自害をせずに散っていく姿を中心に物語が構成されています。その中に江が政治のことを気にしたり、秀忠の思いの部分だったりするところがちりばめられているのですが、ここでなぜ多くの時間をガラシャに費やしたのかいまいち謎なところです。

主人公の江についてでいえば、秀忠が改めて江への思いを告白し、信長が好きだったこと、そしてその親族である江へは特別な思いを持っていたことを話している場面をもっと膨らませた方が、見る側に新しい発見を与えることができたのではないかと思えるのですが、残念ながら重要な場面もその他のシーンの一つとして薄く広くが貫かれてしまっています。

秀忠との絡みはそれだけでなく、上杉攻めの総大将に家康から命じられた際に自分ではつとまらないと落ち込むシーンでも江は登場しています。主人公たちに変装させるのが好きなのかわかりませんが、前回千利休の屋敷に炭売りの格好で忍び込んだのに引き続き、百姓としてのイメージシーン。このカットっているんでしょうか。本編の雰囲気を完全に壊しているような気がしてならないのですが、素直に二人の描写に専念していた方が良かったのではないでしょうか。

そういった心情の変化を映し出す重要な場面と同じくらいのさっくりとした展開で、三成が反旗を翻す場面もあったのですが、この歴史描写ゾーンはことごとくあっさりしすぎていて、数秒で終わるナレーションでは時代背景をとらえることなどできないでしょう。毛利輝元もセリフなしで数秒移っただけですし、家康が上杉攻めを秀頼に進言するのも唐突感が否めません。このまま関ヶ原もナレーションで終わるのではないかとおっしゃっているブロガーもいらっしゃるくらいで、戦闘シーンなどは今回の登場人物が戦っていないので、昨年までの大河ドラマで使ったやつを再利用しているのではないかと思ってしまいます。

そんな描くべき部分が多いにも関わらずガラシャについてタイトルにまでして中心に描くのは、やはりわかりません。ガラシャと忠興の告白シーンも、江という主人公にはあまり絡まず、物語全体としてこれまで力を入れて描いてきたかと言えばそうでもない、NHKのWebページを見ていてもその答えは見つからず。もやもや感だけが残る内容となりました。

そして当の江は、相変わらず秀忠や家康が政治について話をしている席に同席しているし、意見を申し上げるといって駆けつけようとするし、同じ行動が延々と繰り返されるようです。

ポイントは、江と初と淀という三姉妹が敵味方になってしまうという悲劇のはず、次回がそのシーンだとすれば伏線をもっと強く強く数回にわたって引いてあげるべきではないでしょうか。他をナレーションにしてまで重点的に描くくらいでないと、もはや伝えたいことは伝わらないような気がします。残りの回数も非常に少なくなってきているので、視聴者に感じてほしいことを絞って細かく描くような展開に期待したいと思います。

◆江紀行◆
大阪府大阪市
 - 越中井(細川屋敷跡)
 - 聖マリア大聖堂
 - 細川ガラシャ像
 - 崇禅寺

江 -姫たちの戦国- 第33回「徳川の嫁」

2011年8月 31日 By: rainbow Category: 2011年_江 No Comments →

関ヶ原の戦いがどのようなものだったのか、それをしっかりと把握したいという思いから、司馬遼太郎の「関ヶ原」という時代小説3巻を読んでみました。そこには、秀吉の死語に家康が考え抜いた様々な諜略とそれを支えた本多正信の動きがつぶさに記述されていて、スリリングな状況がそこにはあったことを知ることができます。

それを見ているからなのかもしれませんが、今回の江というドラマの中で描かれる家康や正信はずいぶん丸く優しい人物に描いているようで、そのギャップに悩まされています。例えば、三成が豊臣ゆかりの武将たちに囲まれて家康のもとに駆け込むシーン。

これは上記「関ヶ原」の中でも登場したものですが、そういった状況に至る背景がかなり割愛されていて、なぜ豊臣ゆかりの武将たちがぶちぎれているのか、というかそもそもその武将たちも今までほとんど登場していないので、「誰?」という感じで唐突感が否めません。

もちろん、江が主人公のドラマなのですからこういった江以外のキャラクターについて軽くなってしまうのは致し方ないのですが、それにしても「関ヶ原の戦い」は江にとって姉妹が二つに分かれてしまうという悲惨な出来事のはず。それこそしっかりと「なぜそのような状況になってしまったのか」を描かなければ、姉妹の悲惨な状況を、見る人は「悲惨だ」と思うことはできないでしょう。

北政所が大坂城を去っていって、その代わりに家康がやってくるシーンも何となくさくっと終わってしまった感があります。北政所は以前、「これから淀殿と私は生きていく道が違ってくるかもしれません」と伏線を張っていたにも関わらず、その本流が来た今回は淀と北政所が静かにトークをして、すんなりと別れていきます。おそらく脚本家の人にとってこのシーンもあまり重要ではなかったのでしょう。

そういった時代背景よりも、江戸城での大姥局からの仕打ちの方がすごく大切だったのかもしれません。長い時間をかけて、男の子を産むための仕打ちや子供が生まれてから名前をつけるところでのシーンが重要だったのでしょう。結果として生まれてくるのは女の子ですが、男の子の名前が書かれた紙をはじめは出して、それをわざわざ否定して女の子の名前を書くというフェイクを使っています。この時代にあってそんな小細工があったのでしょうか。そうされても視聴者は全然嬉しくないのですが。

なんか、今回のドラマを見ていると、なにが大切で何を見せたいのかよくわからなくなってきました。その行間も視聴者で補うことを求められているのだとしたら、ある意味新しい大河ドラマだと思います。残りも少なくなってきたのですが、江の生き様を最後には深く知ることができるようになれればいいと切に思いながら、次回に期待したいと思います。

◆江紀行◆
滋賀県彦根市
 - 佐和山城趾

江 -姫たちの戦国- 第32回「江戸の鬼」

2011年8月 21日 By: rainbow Category: 2011年_江 No Comments →

毎回思うのですが、タイトルの付け方がすこしおかしいような気がしてなりません。今回の江戸の鬼というのはおそらく今回から登場した加賀まりこさんのことを示しているのだろうと思いますが、その登場時間はラストのわずか数分。ほとんどは、江が京から江戸へと出立するために挨拶回りをするところにあてられています。

今回のポイントは、政治の世界でいうと秀吉が亡くなって徐々に勢力を強めつつある家康と、豊臣家を守ろうとする三成の亀裂ができはじめるという大きな転換期を、江がどのように過ごしていくのかという場面だと思います。三成が家康の暗殺を狙っているといううわさから家康は息子の秀忠を江戸へ避難させることにします。

そうなると、江としても今まで身近にいた人たちとなかなか会うことができなくなってしまうので、今までお世話になってきた人たちへの挨拶回りにいってくるという設定になっています。訪問される側としては完全に不自然な訪問なわけですが、理由は決していってはならないとのことなので、不自然ながらもガラシャ、初、龍子、そして淀を訪ねることになります。

初には会ったあと「姉様にお別れも言えないのは、」と冷めた感じで言っていたのに対して、淀に対しては「姉上に嘘は言えない」といって、自分の訪問理由を話します。ここで江からみた初と淀の信頼度は全然違うことが露骨に現れることになってしまいました。きっと日頃から初は「江、子供を産んで一人自分にくれ」などといっているから愛想を尽かされてしまったのかもしれません。

普通に挨拶を済ました後、淀のはからいで娘・完にあうことができる江ですが、自分のことを母親であるという認識がない完を見て、ようやく何かが吹っ切れたのでしょう。涙を見せながらも、もはや完は自分の子供ではないのだと実感させられたのだと思います。たった数年会っていないだけで親の顔を忘れてしまうのは自分の一人の親として悲しいことだなと思います。もし自分の子供に他人行儀にされてしまったら、胸が張り裂けてしまうのではないかと苦しい思いでこの場面を見ていました。

今回の最大の見せ場は、段々と大人らしくなっていく秀忠の姿でしょう。石田三成を呼んで自ら忠告をしたり、この先の石田三成の危うさを指摘したりして、これまでにない政治的側面を見ることができました。こういった場面を少しずつ出してくれれば、大河ドラマファンとしては心が落ち着くのではないでしょうか。

次回は、最後に登場した加賀まりこが、存在感たっぷりな大姥局として江戸城を闊歩します。加賀まりこと大河ドラマという組み合わせがまだしっくりと来ていないので、次回からしっかりと確認したいと思います。

◆江紀行◆
東京都千代田区
 - 神田明神
 - 魚河岸水神社
 - 日本橋日本橋魚河岸跡
 - 中央卸売市場 築地市場