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平清盛 第23回「叔父を斬る」

2012年6月 10日 By: rainbow Category: 2012年_平清盛 No Comments →

前回から引き続き、保元の乱の戦後処理についてで、内容的には前回で既に分かっていたとおりになりました。大切なのはその「瞬間」をどのように演出していくのかということに注目していました。

まず始まりは、忠正と為義両方がどのように過ごしていたかですが、どちらも自分が今後どのような沙汰を受けるかが分かっていたようで、まったりとぼーっと過ごしていたように思えます。事実として清盛や義朝に事実を言われたり、言動で示された時にも平然と受け止め、自分がそれぞれの一門を反映させるために、必要な死だと明言しています。ここまで覚悟が座っているようだと、もはや説得するという次元ではないことが分かります。

素晴らしい演出だったのは、忠正と清盛の三男・清三郎のやりとり。忠正はそれまで十分な時間があり、わらじをいじっていたにも関わらず、その前に約束していた竹馬の作成を完全に忘れていたようで、何も知らない清三郎は「約束していた竹馬はどうした?」と催促します。これに対して忠正は戻ってきたときに作ってあげると新たな約束をするのですが、感動的な場面であると同時に、これが本当であれば清三郎は後々ものすごく引きずることになりそうです。この後何らかの心の傷が清盛自体に向かないことを祈るばかり。

そしてとうとう斬首をする刻限。この辺りは、完全に予想通りのやりとりだったのですが、予想外だったのが清盛は忠正を切ることができたのに対して、義朝は為義を切ることができずにただただ泣くばかり。この状況をつぶさに見ていた鬼武者は、父を助けようと元服することを進言し、頼朝が誕生します。

もう一つ意外だったのが、それぞれの処刑場に、西行と鬼若が隠れて見ていたこと。この二つのシーンを完全にシンクロさせようとしたい制作者側の意図がまったくわかりません。台詞や登場人物に類似を求めることによって、何を伝えたかったのでしょうか。誰か偉い人に教えてほしいです。

全てが終わった後に、信西は藤原師光を通じて今回の本当の思いを自分たちに伝えてくれています。本当は自分も斬首をするというところまではいきたくなかったのだけど、藤原摂関家の力を弱めるためには、その部下であった為義を処刑する必要があり、そこに意味を持たせるためには、平氏や源氏といった境界をわけることなく、両方に沙汰を下す必要があったということ。信西は何も言わずにただ涙を流します。

この思いを、後に清盛に語っていて、新しい世の中を作ろうと話をします。この「新しい世の中」という言葉は、様々な場所で登場するし、後白河天皇も話をしていますが、具体的にどのような世の中が新しく、今の世の中の何が悪いのかよく分かっていないので、イメージがわかないんですよね。まるで現代の政治の世界に通じているところもあります。そのあたりの背景は自分で勉強しておいてください、という宿題を自分たちに課しているのかもしれません。

最後は、清盛が平氏は一蓮托生であることを声高に一門に伝えるのですが、このシーンもどこかで見たことがあるような気がします。おじさんを斬首するというものすごくインパクトの大きいことをしたのですから、その後のメッセージはもっと感動的にしてほしかったなというのが、ドラマ視聴者としての思いでした。

次回は、信西がどんどん自分が目指す政治を実行していきます。その中で武士がどのように活躍していくのか、その片鱗が見えたらいいなと思います。

◆清盛紀行◆
京都府京都市
 - 左女牛井之跡
 - 船岡山
 - 源義朝の供養塔

平清盛 第22回「勝利の代償」

2012年6月 03日 By: rainbow Category: 2012年_平清盛 No Comments →

前回で終了した保元の乱のその後についてが今回の内容となりました。自分のなかでは、ある程度予想通りの展開であり、それと共にその先の展開もある程度想像がついてしまったような気がします。

まずは、完全に不幸の象徴として常に悲しい顔をしている井浦新さん演じる崇徳上皇ですが、守る武将に逃げるようにいい、自分はこれまでのうまくいかない世の中に涙を流します。同様に藤原頼長も父親を頼って逃げるのですが、門に入れてくれずにその前で舌を切って自害することになります。最後の清盛紀行によると、最期を遂げたのは興福寺であったとありますが、この辺りの事実関係が若干怪しいものがあります。

この二人は、何とかこれからも自分が生きる道を探そうと必死になるのですが、結果としては流罪と自害という悲惨な結果に。自分たちで刀を向けたのですから、負けたという事実の前にどうしようもない結論ではあります。信西や後白河天皇が判断したこの結果は、至極当たり前のことであったと思います。

それに対して、武士方ですが為義と忠正が残党狩りを避けてそれぞれ源氏と平氏のもとに捕らえられます。こうなっただけでも不幸中の幸いではありますが、自分の手元にかけがえのない人物が戻ったのであれば、人としてその命を守りたいと思うのは当たり前のこと。それまで清盛や義朝は探すことなどしないと言っていたにも関わらず、実際には情がどうしても出てしまうようです。

しかし、この辺りは前回からそうなるだろうなと思っていました。そしてここに繰り広げられる人間模様が涙ながらに語られるということも。実際、極刑が下され、実行されるのは次回のことのようですが、完全にそうなるフラグが至る所に立ちまくりでした。

為義は、由良御前から食事の差し出しを頂き、そこで義朝が殿上人になったことを知って静かにほほえみながら満足そうな表情を浮かべます。きっとこれからの源氏の安泰を想像したのでしょう。同様に、忠正は落ち武者的な格好で登場するも、清盛になくてはならない存在であるといわれ、落ち着きを取り戻します。しかし、子供達の竹馬を見ながらも、自分の死期が近づいているのを感じていたことを表情から醸し出していました。この辺りの微妙な演技が豊原功補はうまいです。思わずこちらまで心が苦しくなるほどの表情は、彼ならではでしょう。

次回は、その続きです。今回ネタが完全にばれてしまっていることと、サッカーの日本代表試合の関係で、ここ数回の視聴率が本当に厳しくなりそうですが、それにもめげずに頑張ってほしいと思います。

◆清盛紀行◆
京都府宇治市
 - 宇治川

奈良県奈良市
 - 興福寺

京都府京都市
 - 相国寺

平清盛 第21回「保元の乱」

2012年5月 27日 By: rainbow Category: 2012年_平清盛 No Comments →

間違いなく前半の最大のイベントである保元の乱が始まりました。今まで歴史の勉強をしていた学生の頃まで保元の乱について、あまり詳しく知らないまま来てしまったことが残念でもあり、逆に様々なことが新しい発見となることが嬉しいことから、どんな感じだったのだろうと興味津々で始まりました。前回くらいから話の内容がしっかりとしてきていて、保元の乱自体もしっかりと描いてくれるだろうという期待が高まります。

今回の戦は平氏と源氏にとって一族を二分するかのような状況の中で、それぞれがどのように思いながら戦っていくのかということでした。大きな話題になったのが、源義朝と為義の親子、平清盛と忠正のおじの関係、正清と通清の親子といった3組。保元の乱自体はほとんどこの3組の状況について繰り返していくことで展開していきます。

なので、保元の乱全体について語られることはあまり多くなく、個別のそれぞれの戦状況に終始してしまったような気がします。ここは語りである頼朝役がしっかりとサポートしなければならないところではありますが、実際には役者の力の方が大きかったということなのでしょう。

先ほどの3組の戦が開始され、それぞれの思いが映し出されます。結果的には、それぞれが戦いながらも決着をすることはありませんでした。直接命を奪っていたらもう少し今後の心模様にも変化があったのだと思いますが、勝敗が決まったあとに、また一緒にやろうという流れになるだろうなと思ってしまいます。これが次回への伏線となっていくのですが、ここではまだわかりません。

頼長と信西という参謀の戦いでもあったこの戦、同じ兵法でも解釈の仕方によってこんなにも変わってくるんだなと感じます。夜討ちを恥ずべき行為とするか、勝利のために最善の道を選択するのか、非常に難しい問題です。礼儀や威厳を保つ上で恥ずかしい行為をすることがNGだと考えがちなのですが、信西たちが決定した夜討ちという手法によって、結果的に勝利を得るためにいかに戦うかということが今後の戦の中で根本的な考え方になっていったのではないでしょうか。そういう意味で、非常に重要な戦であったと思います。

次回は、敗北者になった崇徳上皇側の処遇についてになります。負けた方は基本的に何でも受け入れなければならない状況なので、苦しい場面になると思いますが、静かに見守りたいと思います。

◆清盛紀行◆
京都府京都市
 高松神明神社
 白河北殿跡