八重の桜 第31回「離縁のわけ」
冒頭から本題にはいります。それは尚之助からの離縁状でした。八重も言うように何らかの理由があったにせよ、それを知らされなければ協力したり、よく思えるはずがありません。時代の真ん中にいる人はその時々でのベストな選択をしようと努力します。その決断がずっと後になって間違っていたとしても、すくなくともその時には最良の判断なのです。八重はこの離縁状に対して明確に離縁するとは今回はなっていませんが、遅かれ早かれそのような決断をすることになるでしょう。
そしてもう一つの離縁状、それはうらから覚馬へあてられたものでした。覚馬が京都で生きていることをしった山本家は一瞬大喜びしますが、迎えに来てくれない覚馬に対して女の勘がはたらき、うらは京に後妻がいることを見抜きます。色々と悩んだ結果、後妻と揉める状況を子供に見せたくないという理由から、自分は京へはゆかず子供のみねだけを連れて行って欲しいと願い出ます。
みねにとって、母と別れることはこれ以上ない悲しみだったと思いますが、彼女について色々と調べてみると、結果的にこの時の判断が正しかったのではないかと思えるような人生を歩んでいます。みねにとってそれが幸せだったのかどうかは、さすがに本人でないとわかりませんが。
もう一つ、離縁話があったのが二葉と梶原平馬でした。斗南藩が廃藩置県の影響でなくなることになり、浩も東京に向かうことになるのですが、そこで平馬は二葉も連れて行って欲しいと願い出ます。結論は明確に出ていないように見えますが、これも時間の問題でしょう。
これらの離縁は仕方ない事情によるもので、誰かが誰かのことを思いやる気持ちから生じたものです。しかし、いずれにせよ人の心に深い傷跡ができるのは同じこと。これからどのように彼らが再度前を向いて生きていくのかしっかりと確認したいと思います。
◆八重の桜紀行◆
青森県むつ市
- 円通寺
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