2013/08/11
Category: 2013年_八重の桜
心なしか、八重たちが京にやってきたことによって、中央政界と八重たちの動向に開きがなくなってきてシンクロするような感じになって来た気がします。それは八重自身が西郷や政治の有力者と直接話をする機会が増えてきているからなのかもしれません。
山本家の中では、佐久とみね、そして八重の3人が京都の覚馬の家に住むようになったのですが、予想通り一番最後まで時栄を避けていたのがみねでした。母親であるうらのことを忘れられない彼女はいつもしょんぼりしていましたが、覚馬は全く笑いもせずに厳しく接します。自分の思いをはき出すことができたみねも、ようやく時栄に心を開くようになった時に、この家のことは時栄に任せることができる状態になったのです。
それと時を同じくして八重も薩摩や長州の人々に対して敵対心をもっていて、そんな人たちと親しげに話をする覚馬に怒りを覚えていたのですが、覚馬もまた必死に戦っていること、会津の心を取り戻すためには学問をもってこの国を京から変えていくことが必要だと八重に訴えます。会津への思いをまだまだ強く持っている八重に対しての説得はやや、風が吹けば桶屋がもうかる的な遠い因果関係のようにも思えましたが、バイタリティーの高い八重はそれを受け入れ、自分も力を尽くしていこうと決意することになります。
今後夫になる新島襄もアメリカで表舞台に出てきていて、暗い過去からの決別、そして明るい未来が見えてきたような気がします。次回はそのくらい過去をともに背負う尚之助との再会があるようですが、どのような場面になるのか、そして八重はどう思うか楽しみにしたいと思います。
◆八重の桜紀行◆
京都府京都市
– 薩摩藩邸跡