八重の桜 第11回「守護職を討て!」
冒頭から会津の精神である「ならぬものはならぬものです」という言葉が権八から三郎に向けられます。この言葉、強い志を持つものに対して随分と抑圧的なものなのですが、最近思うのはこの言葉には裏があるのではないということ。
つまり、ダメなものはダメと言われて、はいそうですかと引き下がるようならその程度の思いでしかなく、引き下がらずに粘り強く食い下がり続けることによって初めて道が開けるということを示しているのではないでしょうか。
そういう意味で、三郎が16歳にも関わらず一人前の藩士として認めてもらい、鉄砲の実力を認めてもらいたいという強い意志を持っており、それが父親や官兵衛にも伝わったのでした。
会津では少しずつ人間関係も変化し続けていて、身を安定させるもの、挑戦し続けるもの、試行錯誤するもの、いろいろいたりして面白くなってきました。それと比較して常に緊張した場面であり、人の命が崇高な理想のもとに散っていく都は歴史の表舞台。人間関係は常に歴史で表現されています。
今回は、佐久間象山が暗殺され、長州が虎視眈々と都を狙っています。みんな様々な思いを持っており、そのどれもが正論を語っているだけに、最後に残ったものが正しいという世界。今日の友人が明日の敵になってしまうような中で覚馬もまた、会津が生き残るために懸命に戦います。
会津と都の間でまだまだ関連が薄い状況は続きますが、それが繋がり始めたときこの物語の本格的なエンジンが始動するときなのだと思います。その時まで、まずは別々に楽しむことにしましょう。
◆八重の桜紀行◆
京都府京都市
- 佐久間象山遭難之碑
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