八重の桜 第21回「敗戦の責任」
今回は、迫力あるシーンを多く見ることができ今まで新政府軍の観点から見てきた鳥羽・伏見の戦いを、全く違う見方をすることができました。この地域での戦は大きなスペースでの合戦と違って銃や大砲を利用した局地戦であり、三郎を初めとして多くの会津軍が苦戦を強いられることになります。
この中で、気になったのは覚馬が長崎で調達した武器が届いたかどうか。物語の中では大砲は応援部隊として登場しますが、銃が届いたという知らせはありません。その当人である覚馬も薩摩藩の牢屋に入れられてしまい、確認のしようもありません。
とうとう銃が届く前に、戦いは容保らが榎本武揚が用意した軍艦をパクッてそのまま江戸へ逃亡したことにより、終了状態になってしまいます。今回のメインメンバーである神保修理が、慶喜に進言したことは勇気あることであり、至極まっとうだったりします。
しかし、すでに戦場で多くの血を流している状況下においては、この冷静は理論は受け入れてもらいづらく、責任を問われることになります。これは、この後の戦争においても同じ事がいえ、それが後の日本を苦しめることにもつながってしまったのでしょう。
今回は、三郎とその神保修理がそれぞれの役目を十分に果たしながら、武士としての最期を遂げていきます。NHKのサイトではすでに登場人物の欄に「故人」と書かれて、グレイアウトされているのがなんだか寂しくさせます。
次回は、それを知った山本家、そして八重たちがどのようにこの状況を把握し、どのように感じていくのか、会津藩の動向を踏まえながら、しっかりと確認したいと思います。
◆八重の桜紀行◆
東京都中央区
- 浜離宮恩賜庭園
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