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市川亀治郎流「奇跡の起こし方」

2010/05/01 Category: 日記

最近、「パワースポット」が様々なところで取り上げられています。朝早くから人気スポットに並び、その場所を携帯電話の待ち受けにすることによって願いが叶うという噂も飛び出しています。人々はまるでそこが神社や仏閣かのように、その場所で恋愛や金運、人間関係など多種多様な願い事をします。

そんなパワースポットに対して苦言を呈する1つの記事を見付けました。その方は市川亀治郎さんです。歌舞伎俳優の市川亀治郎さんを知ったのは、大河ドラマ「風林火山」での武田信玄役でした。彼は、既存の歌舞伎の世界を変えるべく様々な活動をしていて成功をおさめているひとりといえるでしょう。

市川亀治郎さんは、本来よい「気」が発している聖地が「パワースポット」化してしまい、多くの人が芦を踏み入れる場所とになってしまうことによって穢れてしまうといいます。「穢れ」とは神道ではもっとも忌み嫌われるものです。人が足を踏み入れ、願いという自分の心の中にある欲望をぶつけることによって、「パワースポット」は穢れていくと市川さんはいいます。

パワースポットのパワーが無くなってしまうのかどうか、それは目に見えない世界なので実際にどうなのかは分かりません。ただ市川さんは続けてこのように指摘します。

「こうなりたい」ではなく「こうなるんだ」。自分がはっきり決意することによってやるべき事が見えてくる。そして、そこから努力が生まれる。努力はいつかきっと実る。この過程に奇跡じみたことは一切ない。人事を尽くさずに天命を待つから不安になる。人事を尽くしていれば何も恐れることはない。奇跡に頼ろうとする他力依存のこころの持ち主に神様は味方しないだろう。そのような甘い心を捨て去り、今の自分が精一杯できることをやり、必死に物事に取り組む一生懸命な姿が、時として奇跡を起こす。

これはパワースポットに限ったことではありません。神社や仏閣に初詣に出かけた際に、「こうなれますように」と願い事をするでしょう。その際に自分の努力もしないで神様に完全に依存する人もいれば、なりたい自分を再確認し、一年の初めに願いに向かって自分で努力する人もいます。市川さんは後者であるべきだと言っているのです。願い事をしたから大丈夫と何もしないのではなく、常に願い事に向かってやるべき事は自力でなんとかすること。最後に待つだけの状態になったときの安心材料として願い事をしたことを利用するのは構わないでしょう。

市川さんの講演を聞くと、自分が強くこうなるんだと思うことの大切さを感じます。強く思うとそれに向かって人は努力できる。やるだけのことをやれれば、必ずその願いはかなうのです。そう信じられるのも彼の人間的な魅力からでしょう。

パワースポットに足を運ぶことが悪いことだとは思いません。ただし、願いが叶うか叶わないかはパワースポットの力ではなく、あくまで自分自身であることを忘れてはいけないのです。

【参考】日本経済新聞 2010/04/30

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