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横浜名物「シウマイ弁当」のいろいろ

2010/04/19 Category: 日記

自分が生まれ育った横浜の街の代名詞ともいえる存在のひとつとして崎陽軒のシウマイ弁当があります。自分が小さい頃は、このお弁当をなかなか食べる機会がなく、横浜駅まで買い物に行くと必ず赤い売店でシウマイ弁当を買ったものです。子供心にシューマイの美味しさを感じ、未だにこれを超えるシューマイを食べたことがないと思っています。中でも中に入っているあんず欲しさに、親たちが食べているものから奪い取ってはこればかり食べていたのを思い出します。

そんなシウマイ弁当は1954年に生まれました。それから半世紀以上を経過してもいまだに多くの人に愛されている弁当には、実は知らないことがまだまだたくさんあったのです。そこで今回はシウマイ弁当についてほんの少しだけ知ってみましょう。

◆シューマイではなく「シウマイ」?
おそらく違和感があまりなくなっているのも、このお弁当が全国区だからこそでしょう。よく考えてみると、「シューマイ」というはずのものが「シウマイ」となっています。これは、開発した初代社長がなまって発音したところから名付けられたそうです。どうせならそれをそのまま使いつつ、さらに「ウマイ」をかけて「シウマイ弁当」となったというのですから、ウマイことまとめたなと思います。

◆シウマイ弁当のモデルは幕の内弁当
シウマイ弁当ができた1954年当時、幕の内弁当には三種の神器と呼ばれる「焼魚・玉子焼き・カマボコ」がありました。これだけでは幕の内弁当になってしまい横浜ならではの味を出すことができません。そこで、冷めてもおいしい駅弁を目指し、干しホタテの貝柱などをいれて美味しさを保ったのです。

◆あのひょうたん型のしょう油入れ
今でもあのひょうたん型のしょう油入れをコレクションしている人がいるのではないでしょうか。シウマイに入っているしょう油入れは、はじめてシウマイが発売された昭和3年当時は小さなガラスのビンでした。戦後、ひょうたん型の白い磁器になり、そこに様々な顔をつけたのが漫画家の横山隆一さんです。彼はこのしょう油入れに「ひょうちゃん」と名付けました。今では大小あわせて約700種類ものバリエーションになっているちょっとした名物なのです。

◆変わりゆくかけ紙
・2代目(1960年)
 三渓園、キングの塔、クイーンの塔、コンビナート風景など
・3代目(1964年)
 横浜マリンタワー、氷川丸、ホテルニューグランドなど
・現在(1995年?)
 横浜ランドマークタワーやパシフィコ横浜、横浜赤レンガ倉庫、横浜ベイブリッジなど
このように、横浜の変遷によってかけ紙に描かれるものも変化しており、その時々の横浜の風景の象徴を垣間見ることができる点も、このお弁当ファンを惹きつける要因のひとつではないでしょうか。

◆「シウマイ弁当」が日本で始めて・・・
シウマイ弁当といえば経木の折詰めでしょう。これによって、ご飯から出る水分をうまく吸収してくれます。また日本で最初にお弁当にお手ふきをつけたのが崎陽軒のお弁当だったそうです。今では当たり前となっているサービスも、当時は画期的でありお客様の立場にたった視点で見ていたからこそだったのでしょうね。

そんな崎陽軒のWebページを見てみると、自分も今まで知らなかったような多くのお弁当たちに出会うことができます。?濱チャーハン、帆立ごはん弁当、鯛めし、?濱牛めしなどその数17種類。崎陽軒の弁当だけで1ヶ月くらいは回すことができそうです。同じ味を守りつつけるだけでなく、これからもその味を進化させ、もっともっと美味しくなっていくんだろうなと期待しています。そんな崎陽軒のシウマイ弁当を自分の子供に「お父さんが好きな横浜の味だよ」と自慢できるのが今から楽しみです。

【参考】
・崎陽軒 http://www.kiyoken.com/
・Walker Plus http://news.walkerplus.com/2010/0419/4/


横浜名物-崎陽軒シウマイ弁当根付




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