あしたまにあーな

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あしたまにあーな > 玉山鉄二


八重の桜 第31回「離縁のわけ」

2013年8月 04日 By: rainbow Category: 2013年_八重の桜 No Comments →

冒頭から本題にはいります。それは尚之助からの離縁状でした。八重も言うように何らかの理由があったにせよ、それを知らされなければ協力したり、よく思えるはずがありません。時代の真ん中にいる人はその時々でのベストな選択をしようと努力します。その決断がずっと後になって間違っていたとしても、すくなくともその時には最良の判断なのです。八重はこの離縁状に対して明確に離縁するとは今回はなっていませんが、遅かれ早かれそのような決断をすることになるでしょう。

そしてもう一つの離縁状、それはうらから覚馬へあてられたものでした。覚馬が京都で生きていることをしった山本家は一瞬大喜びしますが、迎えに来てくれない覚馬に対して女の勘がはたらき、うらは京に後妻がいることを見抜きます。色々と悩んだ結果、後妻と揉める状況を子供に見せたくないという理由から、自分は京へはゆかず子供のみねだけを連れて行って欲しいと願い出ます。

みねにとって、母と別れることはこれ以上ない悲しみだったと思いますが、彼女について色々と調べてみると、結果的にこの時の判断が正しかったのではないかと思えるような人生を歩んでいます。みねにとってそれが幸せだったのかどうかは、さすがに本人でないとわかりませんが。

もう一つ、離縁話があったのが二葉と梶原平馬でした。斗南藩が廃藩置県の影響でなくなることになり、浩も東京に向かうことになるのですが、そこで平馬は二葉も連れて行って欲しいと願い出ます。結論は明確に出ていないように見えますが、これも時間の問題でしょう。

これらの離縁は仕方ない事情によるもので、誰かが誰かのことを思いやる気持ちから生じたものです。しかし、いずれにせよ人の心に深い傷跡ができるのは同じこと。これからどのように彼らが再度前を向いて生きていくのかしっかりと確認したいと思います。

◆八重の桜紀行◆
青森県むつ市
 - 円通寺

八重の桜 第30回「再起への道」

2013年7月 28日 By: rainbow Category: 2013年_八重の桜 No Comments →

前回までの重苦しい世界は、初めから完全に過去のものとなり、何事もなかったかのような平穏な行商生活が描かれていて、はじめは随分と違和感を覚えます。ようやくその状況に慣れてきた頃に見えたものは会津への差別というか見下した目線でした。反物を売りに出かけてみるも、その先で会津だということでお情けで反物を買ってもらったり、者を恵んでもらえたりとプライドが傷つけられる場面に遭遇します。

それでも、何とか耐えていた八重ですが、会津のことを侮辱するような発言をされると目の色が変わり再び人をあやめてしまいそうになります。この辺りは非常に危険な性格になってしまったのだなと感じます。通常であればこのような行動を起こしてしまった人に対しては、何らかの処分が下されてしかるべきです。自分の愛する会津のことを悪くいうのは辛いことですが、それと暴行とは完全に別物。八重が警察等に捕まらなくて良かったと改めて思います。

そんな八重たちが静かな戦いをしている頃、旧会津藩士たちは萱野権兵衛が斬首され、謹慎所に連行されたものは斗南藩として再興を夢見て移り住みます。その筆頭の大参事となったのが大蔵でした。彼は藩士を盛り上げて斗南美藩へ向かい最中、八重のもとを訪れます。その言動からは未だに八重のことを想っている状況がよくわかり、ともに斗南藩へ向かうことができないということが分かったあとに、尚之助の状況をようやく伝えます。

静かな戦いとしてもう一つ特筆すべきは頼母でしょう。越後に向かったはずの頼母はいつの間にか箱館で榎本武揚とともに戦っていました。この辺りは自分が見落としていただけなのかもしれませんが、物語で紹介された記憶が全くない状況で、混乱してしまいました。その最中本来であれば妻の辞世の句を見つめるという感動すべき部分でも、見ている方としては気分がのりません。ちょっと飛ばし過ぎだったような気がします。

さて、そんな平穏な世界にもちょっとずつ変化が生じるのが次回からでしょう。完全に戦争のことは終わりを告げ、どのように八重たちが生きていくのかに焦点は絞られてきました。あと残すところも20話ですし、新島襄も登場してきたことだし、ラストに向けたスパートを見せて欲しいものです。

◆八重の桜紀行◆
山形県米沢市
 - 上杉神社

八重の桜 第29回「鶴ヶ城開城」

2013年7月 21日 By: rainbow Category: 2013年_八重の桜 No Comments →

人生というものは本当に紙一重の世界であるということを痛感させられます。補給路を奪還するために決死の思いで出陣していった権八さんは、無事に米俵をGETした帰りに銃弾に倒れます。しかし、その数日後には降伏という形で多くの藩士が命をつなぐことになるのです。歴史にタラレバは無用ですが、ここでもっと早く降伏を受け入れていたら、頼母の進言の場面で決断できていたら権八の命は救われたのです。

しかし、容保の決断はほんの少しだけ遅くなり、ついに降伏ということに。最後の命令である「生きよ」という言葉に家臣だけでなく自分もほんの少しだけうるっときてしまいます。自分が会津藩の最後といういうことに責任を感じる容保に対して、突然進言したのが八重でした。この場がどのようなメンツが集められたところなのか謎ではありますが、この集まりの中に八重がいたのがどうしてもわかりません。最後は八重の戦状況が認められ、男達に混じってこういった集まりにも呼ばれるようになったのでしょうか。

八重は、会津は逆賊ではない、何にも悪いことはしていない、というこれまでの持論を展開した上で、殿様も生きて欲しいと願い出ます。これに家臣も呼応し、雰囲気は一気にまとまった感じに移っていきます。この辺りが本当に歴史と一致するのか、それとも演出の一部なのかはわかりませんが、見ている側に演出なんだろうなと思わせてしまっているように感じます。たしかにこの場面は最も盛り上がるところではあるのですが。

籠城もむなしく、秋月の降伏嘆願が受け入れられ長い戦いに幕が下ろされることになります。猪苗代の謹慎所に向かう中にいた八重を女であることを進言するという形で引き留めた尚之助。おそらくこの真意を八重が理解するのはもっと後のことなのでしょう。猪苗代に行っていたとしても、命はきっと助かるでしょうが全く別の道になっていたことでしょう。結果的に良かったのかどうかは分かりませんが、この時点で生死が分からない以上、尚之助の判断は正しいといえます。この2人のシーンはきっとこれで最後となるかもしれません。

次回からは、次の幕が始まることでしょう。戦争後の会津の人々、そして新政府の人々がどのように交錯しながら、物語が進んでいくのか楽しみにしたいと思います。

◆八重の桜紀行◆
福島県会津若松市
 - 鶴ヶ城

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