虐待や体罰の必要性は?
最近世の中を賑わしている幼児に対する様々な仕打ち。幼い兄弟を残して数ヶ月家に帰らない、子供をベランダで生活させ1日の食事はおにぎり1個。同じ子供を持つ親として、胸が締め付けられるようなニュースが氾濫しています。
自分が小さい頃を思い出してみると、普通に親に殴られたり叩かれたりすることがありました。親だけではなく、学校の先生から本でたたかれたりすることもあり、ある意味それが当然と思っていました。そういったことに対して体罰や虐待と考えられていなかった頃だったというものあるでしょう。
朝日新聞のモニター調査によると、約6割の人が親による子供への体罰は必要であると答えています。その理由として挙げられているのが、口で注意しても分からない、親の怒りを明確にできる、痛みを知れば他人に優しくできる、というもの。
一方で、虐待や体罰をしている親の回復支援団体「My Tree ペアレンツ・プログラム」副事務局長の中川和子さんは、体罰は一害あって一利なしと説明しています。その理由は以下の通り。
・大人の感情のはけ口になることが多い
・恐怖感で子をコントロールする
・他のしつけの方法を考えなくする
・子の成長などに伴って暴力がエスカレートする
・体罰を見た他の子にも心理的ダメージを与える
・取り返しのつかない事故になる恐れがある
このように体罰に対して反対の立場の人もいれば、それを容認する人たちも一方でいます。体罰を加えることによって関係が深まることもあれば、逆に関係が断絶してしまうこともあります。その境目には何があるのでしょうか。
自分は、子供を一人の大人としてしっかりと説明する責任を、全うしているのかどうかが分かれ目だと思っています。大人でも日常生活で突然酷い仕打ちを受けたとしたら当然反発するでしょうし、そんな人と一緒にいたくないと考えるでしょう。ところが、予めやってはいけないというルールや取り決めをしていたのであれば、それを破った自分に何らかの罰が加わっても、きちんとなぜそうされたのか説明を受けることによって納得すると共に、しっかりと見ていてくれていると思うでしょう。ポイントはそこにあると思います。
子供だからといって、ただ押しつけるだけの罰や言葉は、逆効果であり意味を成しません。だからといって放置しているのであれば、子供からは自分を見ていてくれていないと疎外感を感じることでしょう。一人の対等な相手として、子供ときちんと話をすることができ、相手がなぜそのように思ったのか、そうしてしまったのかを聞くこと、そしてルールを破っているのであればきちんと筋道たてて説明し、最悪のケースでは罰を加える。そのプロセスを経る必要があるのです。
一概に「体罰=悪」と結びつけるのではなく、子供と一緒に成長するために、人生の先輩として子供のために何ができるのか、今一度見つめ直してみるいい機会になるでしょう。
【参考】be on Saturday 2010/08/21
しつけと体罰―子どもの内なる力を育てる道すじ (2003/04) 森田 ゆり |
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