島唄に隠された反戦への想い
今や日本人だけでなく、世界に広がっているThe Boomの曲である「島唄」。沖縄の三線や方言をうまく利用し、新しくも懐かしいすばらしい曲に仕上がっています。
しかし、実はこの曲を書いた宮沢和史さんによると、この島唄にはある考えがあるそうです。宮沢さんは沖縄を訪れた際に平和祈念公園などにいき、この地でかつて繰り広げられた悲劇を目の当たりにしました。自分もこの場所へ行きましたが、中に展示されている写真や手記、そして体験談はこれまで平和に暮らしてきた自分たちには分かるはずもないほどの衝撃を与えられます。
「レ」や「ラ」を抜いて演奏する琉球音階において、宮沢さんは島唄の中で一部を日本的な音階に戻しています。戻しているのは「ウージの森で」から始まる部分で、琉球の方を死に追いやったのは当時の日本の軍事教育によるものであり、沖縄音階では歌えないという想いからだったのです。
宮沢さんは安易にこの歌を作ったのではなく、沖縄の歌として沖縄の人に受け入れてもらいたいと思ったそうです。その中で地元の人にこの曲を聴いてもらいながら始めは沖縄限定の発売とし、そこでヒット曲となり全国展開されました。それでも宮沢さんが本土の人である以上、沖縄に深い傷を残したことを歌っていいのかずっと葛藤していたことから、この事実を表に話すことはなかったそうです。
その思いは多くの沖縄の方の心に染み渡り、今では沖縄の曲として認知されています。そればかりか世界中の同じ環境にある人々の心へも送り届けられているのです。宮沢さんは次のように語っています。
「僕は歌を作ってガマのふたを開けたかった。そこから先は僕の力じゃない。閉じ込められていた魂、自らの意思とは違う死に方を選ばざるをえなかった多くの魂が、空へ舞い上がり、海を渡っていったのだろう」
反戦という言葉は非常に重い言葉です。その内容を歌として扱うとき、様々な人の想いやナショナリズム、当時従軍していた人々の思いや沖縄の皆様の思いなど扱うには大きすぎる思いを背負わなければなりません。それでも伝えたいと思う強い気持ちと、宮沢さんの誠実な姿勢が、沖縄と本土の絆を深めると共に、想いを共有することができるようになったのだと思います。
【参考】be on Saturday 2009年6月20日
島唄の風~沖縄ベストコレクション~ (2005/12/16) オムニバス新垣勉 |
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