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奇跡の丘”美瑛”

2009年8月 09日 By: rainbow Category: 環境問題 No Comments →

美瑛

あなたは、どこまでも続くなだらかな丘といえばどの地をイメージするでしょうか。きっと多くの人が北海道を想像することと思います。その中で特に有名なのが美瑛町です。人口は約1万人程度なのですが、面積は東京23区に匹敵するほどの大きさをもっています。

まるで絵画を見ているかのような色とりどりの台地の一夏は非常に短いのです。その一夏の栄華の大切さ、そして美しさに惚れ込んだ多くの写真家が写真集やDVDとして数多くこの町を紹介しています。一つの町をここまで紹介しているのは日本中では他の類を見ないのではないでしょうか。

美瑛の丘には、セブンスターの木、マイルドセブンの丘、パッチワークの丘、親子の木、哲学の木などユニークな名前が色々付けられています。色彩豊かな丘のつながりは、様々な植物がパッチワーク的に作られていることによって形成されています。この中でも四季彩の丘はとりわけ綺麗な花々が植えられた花畑。この丘を作った人によると、この花と雄大な景色を見て心身がリフレッシュし人の心を癒すのだといいます。

◆美瑛の丘のなりたち
美瑛の花畑は、一朝一夕でできたものではありません。先ほど紹介した花畑を作っている方は、花畑のひとつであるひまわりをトラクターで一気に潰していきます。なんだかもったいないような気持ちになりますが、ここには大きな理由があったのです。この潰したひまわりが緑肥になり、空気も混じってリン酸を供給します。これが次に植える花や野菜の養分となり、花を綺麗に咲かせ植物をたくさん育てるための源となっていくのです。

美瑛の丘は決して恵まれた土地ではありません。美瑛の土をよく見てみると至る所に光ったものが見つかります。十勝岳が昔から噴火を繰り返したことによって、美瑛の土は石英などを大量に含んだ痩せた土地になっているのです。そのため、植物をすきこんだり、堆肥を混ぜるなど常に栄養分を補給する必要がありました。

美瑛の丘は、自然本来の姿ではなく原生林の山々だった土地を人力で切り開くなど苦労して作り上げた風景なのです。

◆美瑛の風景に2度目はない
10年前はジャガイモ畑だった土地が今では麦畑になっていて風景が全く異なっているという状況が至る所に見られます。連作といって同じ作物を年を重ね作り続けることによって病気になりやすいので、次々と変化させていきます。これによって、同じ植物の組み合わせは年々変わっていき、それによってできる風景も変わっていくのです。秋は鮮やかな唐松、冬はダイヤモンドダストが輝き、4月に遅い春を迎えます。

◆おいしい美瑛の野菜
美瑛の野菜は特に美味しいと評判です。内陸性の気候らしく温かい日と寒い日の差が20度と激しいため、野菜が美味しく育つそうです。

◆美瑛が有名になったわけ
美瑛の町が有名になった理由は、赤麦が夕日に染まる一枚の写真でした。前田真三さんの写真集で一躍有名になったのです。赤い色が特徴的な写真は、赤麦に夕日が当たった一瞬をとらえたものでした。赤麦の栽培は特に難しく、細くて長いため雨風に弱いという弱点もあります。今年は雨風に耐え奇跡の赤い景色が復活したそうです。

美瑛の丘がいつまでも美しく綺麗な裏には、本当に安全でおいしい野菜を作ろうとする農家の人たちの努力の結晶がつまっていました。人々の営みが作り上げた奇跡の絶景をいつまでも残し、多くの人に優しい空気を運んでいって欲しいと思います。そして、日本中に美瑛のような素敵な場所が広がってくれるといいですね。

【参考】素敵な宇宙船地球号 2009年8月9日

大地の詩―前田真三PHOTO BOX 大地の詩―前田真三PHOTO BOX
(2005/10)
前田 真三

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1粒のタネが世界を動かす

2009年7月 27日 By: rainbow Category: 環境問題 No Comments →

日本におけるトマトの年間売上高は約2000億円なのですが、その中で25年もの間ダントツのシェア1位を保持してきたのが、タキイ種苗のブランドである桃太郎トマトでした。サカタのタネのブランドである王様トマトは桃太郎という強い相手に長らく勝つことが出来なかったのです。その長い戦いはタネの戦いでもありました。

タネの戦争で重要なキーポイントは、いかに優れたタネを開発するかに掛かっています。今日本の園芸を支えている技術は、F1と呼ばれるタネの一代雑種を作る方法です。基本的にこの方法は、おしべとめしべを人の手によって交配させます。通常交配させると求める性質をもつものがなかなか出てこないものですが、それを繰り返すことによって、F1と呼ばれる一代雑種が生れることがあるそうです。そこには勘や運といったものも要素としてあるのが現状です。

このように一粒のタネを巡って大きなビジネスが今動いているのです。タネ業者としては自社のタネおよび生産物のシェアを拡大することにあります。その大きなカギを握っているのが、F1(一代雑種)の品種開発技術にかかっているといえます。

そのビジネスは世界を大きくまたに掛けたグローバルなものとなっています。今その中で最も注目を浴びている国がインドです。この国は人口が多く、菜食主義者も多いことから巨大なマーケットとして取り上げられているのです。同じように魅力的なマーケットだと考える企業も多く存在し、その中でもインド国内種苗メーカーである「メタヘリックス社」は遺伝子組み換え技術(GM)を武器に国内シェアの拡大を狙います。

メタヘリックス社長のK.K.ナラヤナンさんによると、作物の質と量を向上させる技術は遺伝子レベルにまで到達していて、遺伝子組み換えに対する不安があることはわかっているがそれらの多くは誤報であると断言します。

遺伝子組み換えは、理論的には自然界にありえないようなどんな組み合わせも実現することができる魔法のような技術なのですが、それゆえ自然の摂理に反するフランケンシュタイン植物と呼ばれヨーロッパや日本で激しい反対運動が起こりました。

今でもスーパーで売られている製品の原材料欄にわざわざ遺伝子組み換えでないと書かれているものも数多く存在するほど。専ら海外からの輸入品に遺伝子組み換えが多いと言われてきました。ところが、すでに国産でも遺伝子組み換えのナタネが発見されています。この遺伝子組み換え作物の影響については未だに明らかにされていないのが現状です。

また、遺伝子組み換え作物は耕作する上でこれまで予期していない副作用があることもあります。例えば、害虫に強い品種であるGMですが代わりに大量の水を必要とすることもあります。さらに、遺伝子組み換えの種苗には特許になっているものがほとんどなので、種苗の価格が高いのが一般的です。インドの綿花の例でいうと、これまで1キロあたり7ルピーで買うことができた種苗が、遺伝子組み換え種苗だと1キロあたり1万7000ルピーと実に2000倍以上にも価格が高騰してしまったのです。

モンサント、デュポン、シンジェンタといった世界の上位種苗メーカーでは遺伝子組み換え種苗を取り扱っており、売り上げに大きな影響を及ぼしています。今このような多国籍企業の矛先は日本に向いています。野菜の種を遺伝子組み換えにするという目標を掲げています。

国も遺伝子組み換え技術を選択肢から外すことはすでに考えておらず、農水省によるとあと4年程度で実用化させたいとしているのですが、食の安全性、生態系への影響などを見極める必要があり、もう少し時間的にはかかると思われます。

一粒の種が世界を動かすかもしれない大きな岐路にいま差し掛かっています。金と力にものを言わせビジネスの世界と割り切って進むのもいいのですが、自分たちの体がどうなってしまうのか、後世に残すべき自然がどうなってしまうかさえ明らかになっていない現状において、遺伝子組み換えを積極的に推し進めることは難しいと考えます。

私たちの未来は、私たち自身の選択に掛かっていることを肝に銘じる必要が今あるのかもしれません。

【参考】素敵な宇宙船地球号 2009年7月26日


このなたね油は遺伝子組み換え原料は使用していません圧搾しぼり菜種油 1350g

京都千年の歴史が育む町家のメカニズム

2009年7月 06日 By: rainbow Category: 環境問題 No Comments →

京都市の中心に今も残り続けている町家の風景は日本人であることを再認識させてくれる町並みです。町家とは主に100年以上続く商人の家のことを指し、間口が狭く縦に細長い家の造りが特徴で「うなぎの寝床」とも言わ、1000年以上前から存在したといいます。

その町家には実に数多くの生活の知恵が隠されています。その知恵は先祖代々受け継がれ、時々で更新されてきた結果、実に合理的で経済的な衣食住を支えるものとなったのです。今日はその京の町家の驚異的なメカニズムとそこに潜む町家の知恵を、綾小路通りにある杉本家住宅に代々伝わる古文書「歳中覚」を中心に紹介したいと思います。

◆食の知恵
「朝夕茶漬香物 昼一汁一菜」
朝と晩はお茶漬けだけ、昼は御飯とおかず、汁ものを一品ずつ食べなさいとあります。商人らしく忙しい中、効率的にかつ経済的に食事をする質素倹約が根付いているのです。その献立や始末(ものを捨てずに使い切ること)は今も受け継がれています。今言われている「もったいない精神」はすでに町家の中で実践されていたのです。

◆防災の知恵
町家はお互いに密集して建っている木造建築物にも関わらず、火事が燃え広がることが少ないという不思議な空間です。町家が密集して建っているのは豊臣秀吉が再構成したことに由来するそうなんですが、そういった火事の危険性に対してそこに暮らす人の知恵で火事を防いできました。大火の発生数でいうと江戸が約250年間に100回以上発生していたのに対して、京都は約1200年間に30回程度と少ないことからも、いかにこの街が火事を防いできたかが分かると思います。その町家の火事対策は以下の通りです。
・うだつ
となりの家との境目に壁を作り、火が燃え広がるのを防ぎます。
・蔵の設置
となりの家との間に蔵を作ることによって、防火壁の役割を果たしています。
・2階部分を低く抑える
となりの家からの火は放物線上に上へ舞い上がります。自分の家の高さを低く抑えることによって、となりの家から出た火の下に2階部分がくるように低く抑えることによって燃え移りにくくしているのです。
・心構え
代々伝わる古文書によって火事に対する未然予防の精神を忘れていないことが一番大きいのかもしれません。

◆地震の知恵
町家は阪神淡路大震災の際にも大きな被害を受けなかったというほど、大きな地震に対する耐震性にも優れています。そこには、町家ならではの地震に対する向き合い方がありました。以下に一般の木造住宅と町家でどのように構造が異なるか見てみます。
・一般の木造住宅
地面と金具でしっかりと止め、筋交いによって柱を固定することによってそもそも揺れないような考え方をしています。ある程度までは揺れを抑えることができるのですが、一定以上の揺れになると揺れを支えきれずに倒壊してしまいます。
・町家
大黒柱は地面に置いてある石に乗っているだけで、壁を支える柱である貫もしっかりと固定されておらず隙間があります。ここには地震の揺れを足下に逃がしてやるという考え方なので、全体が揺れながらもその揺れを分散させる免震構造になっていたのです。

◆避暑の知恵
京都は盆地であることから夏は蒸し暑くなります。その暑さを町家は独自の知恵と構造で涼しさを得て、過ごしやすい空間を作り出しているのです。ポイントは、家の中心にある中庭にありました。中庭は店と母屋に囲まれているのですが、店と母屋の屋根に太陽の日差しが降り注ぐことによって、空気が暖まり、中庭付近に上昇気流が生じます。この上昇気流によって、中庭の空気がなくなるので部屋の至る所から空気が中庭に向かって流れていくのです。中庭に面した障子を取り除くことで、この流れを生むことができ、自然のクーラーとなるのです。

このように町家は生活の中から過ごしやすく生きていくために、建物と人とが一体化した空間であり、それは1000年にもわたって京都という街にカスタマイズされてどんどん進化をした結果生まれた究極の生きる知恵なのです。そこには節約や倹約といった住む人の心が息づいています。

便利さを追求し自然を凌駕する生活をしている現代において、そのひずみは徐々に大きくなりつつあります。そんな時代だからこそ、町家の暮らしを再度見つめ直し、取り入れるべき知恵があるのではないでしょうか。

【参考】素敵な宇宙船地球号 2009年7月5日

京都町家案内 (らくたび文庫ワイド) 京都町家案内 (らくたび文庫ワイド)
(2009/03)
不明

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