あしたまにあーな

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西郷どん 第27回「禁門の変」

2018年7月 22日 By: rainbow Category: 2018年_西郷どん No Comments →

前回までで慶喜の言動が怪しくなっていることを吉之助は不安に思っていたのですが、今回はその不安が一気に噴き出す形となります。きっかけは長州でした。長州は御所に火を放ち天皇を連れ出す計画が慶喜を初め朝廷側にばれてしまい、その直前まで桂小五郎が一生懸命調整したことが全て水の泡になってしまいます。

長州藩士は池田屋で新撰組によって襲撃されてしまいますが、この場には桂は不在。彼が今後どのように長州藩の立て直しを図っていくのか楽しみです。

さらに長州には逆風が。それが禁門の変でした。薩摩の兵によって長州力さん演じる来島又兵衛が討ち取られて戦意を喪失していたにもかかわらず、会津兵が長州に追い打ちをかけたことによって、京都の町は焼け野原になっていきます。この辺りの表現は八重の桜的に見たらまた違ったのだと思いますが、今回はあくまで薩摩目線です。

「人斬り半次郎」と呼ばれる中村半次郎を初め、吉之助のまわりには過去に縁があって再び結びつく人と人のつながりが描かれていますが、今後その人同士の関係がどのように吉之助を介して繋がっていくのか期待したいと思います。

■紀行■
・京都府京都市
 天龍寺塔頭 弘源寺
 JR「嵯峨嵐山」下車 徒歩10分


NHK大河ドラマ「西郷どん」オリジナル・サウンドトラックI 音楽:富貴晴美

八重の桜 第49回「再び戦を学ばず」

2013年12月 09日 By: rainbow Category: 2013年_八重の桜 No Comments →

残すところあと2回となった今回のお話は、再び会津の皆様の登場により盛り上がりを見せます。まず覚馬のもとにやって来たのは山川健次郎でした。浩が尚之助が記した会津戦記をなんとかして仕上げなくてはならないということで、京都での出来事を覚馬から色々と聞こうと思ってやって来たのですが、実際には覚馬が薩長の人々の肩を持つような発言をしたことによって、激しく罵ります。

この時の覚馬は本当に正論で、戦というものはどちらか一方だけが正しいのではなく、敵も味方もそれぞれ自分たちは正しいことをしているという思いがあり、幸せな未来を作るために頑張っている多面性があるということを示しています。しかし、後に覚馬はそれでも戦争が始まってしまいそうな状況に自分が学問を通して戦をなくすという思いが無駄になったのかと嘆くのでした。

この覚馬の思いは、本当に現代においても言えることで、人々が学び賢くなることによって戦争をなくすことができているかというと必ずしもそうではありません。エゴイズムやイデオロギーが渦巻く中で、人々の心の奥底には、戦への思いが眠っているのかもしれません。それを知によって自制する力が、今の時代にも求められているのではないでしょうか。そんなことを考えさせられる場面となりました。

覚馬の最期は、新島襄よりもあっさりしていたのがなんだか残念でなりません。最後の方はなんとなく早足になって物語が進んでいるように見えるのですが、この辺りこそ八重が生き抜いた時代の結末なのですから、もう少し時間を割いても良かったのではないかと思います。

さて、次回は最終回。日清戦争に赤十字のメンバーとして看護に当たることになる八重。そして、今回容保が出した会津が逆賊ではないことを示す孝明天皇の書の行方、など最後の最後でどのように結末を迎えるのか、楽しみにしたいと思います。

◆八重の桜紀行◆
京都府京都市
 - 山本覚馬之墓

八重の桜 第43回「鹿鳴館の華」

2013年10月 30日 By: rainbow Category: 2013年_八重の桜 No Comments →

今回は山川家の物語となりました。それにしても山川の家の方々の肩書きは本当に凄いものばかりであることが改めて分かります。浩は陸軍の重職についているし、健次郎は東京大学の教授をつとめていて五女の捨松もアメリカ留学から帰国し、陸軍中将の大山巌から求婚されるような存在になります。

今回はその話がトピックスなんですが、それにしても捨松は日本に帰ってきても英語を話し、洋風な服装をしているのですが、周囲から浮いているという考えはなかったのかと不思議になります。アメリカで生まれ育ったのであれば、日本という土地柄を知らないので、仕方がないのですが、11歳で日本を出たのであれば、ある程度は分かっているはず。

それでも、その華やかな雰囲気があったからこそ、大山巌も目が向いたという要素もあるのかもしれません。坂の上の雲で登場する大山は既に歳をとっていましたが、陸軍を立派に指揮している姿が目に焼き付いていて、そんな大物の妻となった捨松は、この時そんなことになるとは知らないというのが歴史の面白さなんだなと感じます。鹿鳴館の華という題名は、まさに捨松のことを指すようで、自分も初めて知りました。

次回は、新島襄の最期となりそうな雰囲気。八重のとってかけがえのない人であり、もう少しだけ登場していてもいいと思うのですが、その先のことも考えるとこの辺りが限界なのかもしれません。覚悟しながら自分も望みたいと思います。

◆八重の桜紀行◆
東京都千代田区
 - 九段坂公園

栃木県那須塩原市
 - 大山記念館