あしたまにあーな

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おんな城主直虎 第6回「初恋の別れ道」

2017年2月 12日 By: rainbow Category: 2017年_おんな城主直虎 No Comments →

前回無事に帰還した亀之丞は名前を井伊直親と改めます。それでも次郎法師からは直親と呼び捨てにされる様子を見ると、上下関係はまだまだおとわの方が上なんだなと感じます。そんな直親は次郎法師と夫婦になるために考えを巡らします。その結果導いたのが次郎法師を死んでしまったことにするというもの。初めはそれに賛成する次郎法師でしたが、自分自身がいなくなってしまうことに対し不安を覚えます。

そして結論としては、自分は井伊のバックアップとしていつでも登場することが出来るように、一時の恋愛感情には流されずに生きる道でした。これは同時に直親と夫婦になるという選択肢を排除することになり、この時代の女性にあって、非常に苦しい選択をすることになります。ある意味、八重の桜に登場した八重さんを思わせるストイックな生き方なのですが、それを主導したのは南渓和尚の道威の話でしょう。南渓和尚はこれからもキーマンになりそうですね。

今回で、次郎法師と直親たちの方向性が見えてきました。政次も次回何らかの活躍をしてくれるものとみられます。それ以外にも竹千代の素晴らしい才能が紹介されたりして周囲も賑やかになって来ました。次回が楽しみです。

■直虎紀行■
静岡県浜松市
 - 奥山方広寺

八重の桜 第50回「いつの日も花は咲く」

2013年12月 15日 By: rainbow Category: 2013年_八重の桜 No Comments →

物語は従軍篤志看護婦として広島陸軍予備病院で必死に看護する八重の姿から始まります。この辺りの姿は、戊辰戦争で多くの負傷兵を日新館で看護した姿に完全に重なります。時代は違ってもその人の根本的なところは変わらないのかもしれません。その当時からさらに進んでいるのが「敵も味方もなく看護する」という精神。相手が清国の兵士であっても、傷ついた者には平等に看護するという考え方は、この時を初めとして日本でも根付いていったのかもしれません。

その日清戦争を大陸で指揮するのが大山巌。坂の上の雲を見ていたので、その後の日露戦争での旅順攻略がとても厳しいものであったという印象を持ってみていたのですが、日清戦争では比較的たやすく攻略することができたようです。そういった軍事状況を鼓舞していたのが新聞社であり、その中心的な一人が徳富でした。新島襄の教え子でもある彼は、世論という目に見えないものを大きく動かす力を持っていて、八重はそれをどのように使うつもりなのか、厳しく問いだたします。この問は未だに答えが出ていない現代にも通じる宿題事項なのではないでしょうか。そんなことを考えさせられます。

気持ちが整理するために八重が向かったのがやはり、会津。そこには頼母がいました。いつの時代も必死に生きようと努力し、そして笑顔を保とうと努力する人々がいる。八重は、まるで桜であり散っても散っても、また次に咲き誇りなさいと諭します。西田敏行さんはさすがという演技で、物語を上手くしめてくれたような気がします。

ここで八重桜とは、この辺りから来ているのではないかと思って調べてみたのですが、実際にはそうではないようで、少し残念。それでもそう思わせるほどの素晴らしい人生を歩まれてきたんだと知ることが出来て、本当に良かったと思います。

さて、次回からは黒田官兵衛。戦国時代にまた戻ってきました。岡田准一さんの演技に期待したいと思います。

◆八重の桜紀行◆
京都府京都市
福島県会津若松市

八重の桜 第35回「襄のプロポーズ」

2013年9月 01日 By: rainbow Category: 2013年_八重の桜 No Comments →

今回は、時尾さんがやってきたことがきっかけで、懐かしい会津の皆様が登場してちょっとほっとする時間が流れました。容保を筆頭に佐川、山川と家老が登場し、改めて中村獅童の佐川官兵衛は迫力があって演技が上手いなと感じてしまいます。本当は藤田五郎と時尾さんの結婚式であったのですが、新郎よりも存在感を出すというのはすごいことだと思います。このように、家老でも無かった人の結婚式に立ちあう容保を見ていると、会津を全力で守った人々への報いを相当考えていることがわかります。

メインは新島襄のプロポーズシーンなのですが、自分の中ではその前にあった尚之助の死のことが頭から離れませんでした。斗南での罪をかぶってひたすらに藩のため、会津のため、八重のために生きてきた彼にとって、最後は会津戦記を書き残すこと。病院から抜け出し書斎で最後まで自分がいきた時代を残そうと懸命に筆をとります。この姿に思わずグッと来るものがありました。そかも、それは未完成。籠城の場面で事切れていたといいます。彼にとって、人生は満足いくもののだったのでしょうか。

最後はやはり、新島襄と八重でしょう。新島は三郎が亡くなった場所へ八重を連れて行き、過去と向き合うことが大切だといいます。これは完全に賭であったことでしょう。はじめは八重は抵抗を示しつつも、新島のひたむきな心と思ったことを述べる誠実さで関係は好転。結果として結婚することになります。尚之助のことは忘れずに認めてもらえるように努力するという言葉が八重の心を開いたのでしょう。

問題は、どうやって同志社をつくっていくのかということ。これから京都という寺社が多い中でどのように周囲を認めさせていくのか、楽しみにしたいと思います。

◆八重の桜紀行◆
兵庫県豊岡市
 - 川崎尚之助供養の碑