あしたまにあーな

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平清盛 第38回「平家にあらずんば人にあらず」

2012年9月 30日 By: rainbow Category: 2012年_平清盛 No Comments →

タイトルは平氏の代名詞とも思われがちな「平家にあらずんば人にあらず」。物語の中でこれを言いだし始めたのが、時忠であるとしています。今回のメインキャラとなった時忠は、完全に数年前の岡田以蔵を演じた佐藤健にかぶっていたような気がします。なんだか仕事人的な雰囲気を持って、逆らうものに鉄槌を下すというものすごい職業がこの時代にあったのだと改めて驚きました。

歴史の上では、このタイトルのような発言を清盛は直接していないということになっておりますが、物語の中では、そのような言動をしていることを時子から知らされた清盛は、国の頂きにたつということは時に必要な事もあるといって、事実上黙認しています。

これでは、ほとんど清盛が言ったのと同じこと。「平家にあらずんば人にあらず」は、平氏がその権力の上に悪政をしまくるというイメージがあり、あまりいい言葉として利用されませんが、実際には国を富ませるための様々な取り組みを行うための必要な手段とのこと。この思いと言動のギャップが激しく、周囲から見るとそのような思いを汲んであげることはできないでしょう。

その他は比較的小さな出来事がたくさんあり、全体としての印象は薄くなってしまっているのが残念です。兎丸の名案も尺があまり与えられず、それよりも政子と頼朝のシーンの方が時間的に多かったのではないでしょうか。強いて言うのなら、時忠と同等レベルということであれば後白河法皇でしょうか。

かれの言葉遊びですが、周囲もなんだか乗り気ではなく、仕方なしに実施しているまったり感が出ていて面白く見ることができました。食べたふりをするシーンなど、いかにも貴族というイメージ。その中で後白河法皇は、最後にいった人をそのまま食べることによって、自分が最も大きなものを食べたと示します。周囲は、後白河法皇に逆らえるものはいないので、当然参りましたとなるのですが、清盛はそうはいきませんでした。結局この二人は特別だということなのかもしれません。

次回は兎丸がメインをはることに。どういう展開になっていくのか楽しみにしたいと思います。

◆清盛紀行◆
京都府京都市
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平清盛 第37回「殿下乗合事件」

2012年9月 23日 By: rainbow Category: 2012年_平清盛 No Comments →

今回のMVPはなんといっても摂政である基房でしょう。久しぶりに見た悪者役であり、演じている細川茂樹もものすごく悪い奴オーラを表情等から出しまくって好演しているといえます。あまり厳しく言えるはずがないという重盛に対して、「これを機に平氏をつぶしてしまえ」と公言する基房は、その背後にいる清盛の存在を完全に忘れていたのかもしれません。結果として誰の命令か分かりませんが、ぼこぼこにされてからは、怖じ気づいてしまうことになります。

これが事件と言えるのかどうかはよく分かりませんが、この出来事によってダメージを食らったのは重盛だったのかもしれません。棟梁である自分が正しいと思って下した判断を、身内の誰かが覆しそれが実行に移されることは、自分の支配下に平氏がないことを示しています。

この時の首謀者として物語の中でクローズアップされたのは、時忠、時子、清盛の3人ですが、実際のところ誰が下したものなのかは分からずじまい。重盛も「自分は誤っていたのか、自分は父上にはなれない」と涙します。偉大な父を持つ子供は苦労が絶えないのは今も昔も変わらぬ道理なのかもしれません。

この事件からわかるもう一つは、平氏の人々が少しずつ「おごり」というものに染まっているという点。資盛が言っていた「自分は平氏の棟梁の息子で、清盛の孫だぞ」という台詞。

本当にそう言ったのかどうかはわかりませんが、これが事実だとすると親の威光にすがって、自分は何の努力もしないやつだということになります。その前の段階でも武芸を嫌がっている様子からも見て取れるでしょう。作者としては、こうして平氏がたるんできていて、周囲からの反感を少しずつ貯めているという事実を印象づけたい狙いがあるのだと思います。

そこに登場するのが頼朝です。相変わらず生気がないのですが、伊豆の武将達に自分の父親である義朝の悪口を言われ、かちんときたのか「源氏は滅びない。この命が失われても思いは引き継がれていくのだ」と語り、心なしか元気になったようです。おそらく次回あたりから積極的に行動していくでしょう。

次回は、有名な言葉「平氏にあらずんば人にあらず」を思いっきり題名に乗せてくる象徴的な内容になりそうです。福原での貿易進捗状況も含めて目が離せないですね。

◆清盛紀行◆
京都府京都市
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平清盛 第36回「巨人の影」

2012年9月 16日 By: rainbow Category: 2012年_平清盛 No Comments →

物語は変わらず大きく3部構成であり、今回は王家の状況が少なく抑えられ、その分平氏に時間が割かれる状況となりました。おそらくこの構成は最後まで続いていくことになるような気がします。

まず登場したのは京の鞍馬寺にいる源義朝の子である遮那王。常盤御前との約束だからとこの場所にやって来て、そのまま僧になるつもりだったとのこと。お寺の住職は義朝のことを話したがっていたのですが、常磐御前からみると全くの迷惑で、ここに連れてきた意味を全くわかっていないとこいうことになっています。将来平氏を恨んで自分の命を失うことになってしまうということを危惧してのことだったのですが、歴史の上から見るとそのようになってしまうのでした。

話の流れ的には、このお寺の住職が遮那王に話すのではないかとみられますが、これがなかったらまた違った歴史が待っていたことになります。その時々では残酷なことであっても、時間が経過したときに時のつながりが変わってしまう不思議さが歴史の面白さではないでしょうか。この時遮那王が僧のまま終わっていたら、どうなっていたのでしょうか。

源氏の話としてはさらに頼朝の方にもスポットライトが当てられます。北条政子との出会いは果たしたのですが、まだまだお互いのことを知るのは先になりそうです。政子の父親がブロックをかけていましたが、それも時間の問題でしょう。その出会いを果たしたとき、頼朝はどのように復帰することになるのか見物です。

平氏に関しては、題名にもありますが完全に清盛の存在が大きすぎて重盛もどうしていいのか分からない状況にあります。清盛だって忠盛の影響力に負けそうになりながらも、武門を率いて一人前になって行ったのですが、重盛はその壁が大きすぎたのでしょうか。

周囲に信頼されるようになるのは時間がかかります。その時間がものすごく早く過ぎていて、清盛のときのようにもう少しだけゆっくり見守ってあげようと思ってしまうのですが、作者は重盛の求心力のなさを強調したいのかもしれません。それを示す出来事を今回だけでも複数回用意しています。

清盛も重盛に家督を譲るのであれば、もう少し思っていることや方向性を示し、アドバイスをしてあげればいいのに、多くを語ろうとしないように見えます。重盛もものすごくツライ立場にあったことでしょう。比叡山、後白河法皇、藤原摂関家など数多くの難敵に自分なりの方向性をどのように指し示していくか、その独自性に注目したいと思います。

◆清盛紀行◆
広島県廿日市市
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