あしたまにあーな  

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今ハイボールが熱いワケ

2010年7月 21日 By: ぺんぺん Category: 日記 No Comments →



今居酒屋に行くとほとんどのお店でハイボールが人気メニューとして掲げられています。ハイボールという言葉はよく聞くのですが、一体どういう飲み物なのでしょうか。簡単にいうと「ウィスキーのソーダ割り」になります。ハイボールという言葉はどうやら世界ではないらしく日本独特の呼び名なようです。

時はさかのぼり戦後のこと。気軽にウィスキーを飲むことができるバーが急速に広まった頃、氷は貴重なものとされ水は必ずしも衛生的とはいえない状況のなかで、割とポピュラーに存在していたソーダを利用してウィスキーを割るようになりました。それが通称「トリハイ(トリスハイボール)」です。

それから、徐々にハイボールは一般家庭にまで普及すると共に、水がおいしなったり手軽に氷を作れるようになるとハイボールは静かに我々から離れていくことになります。さらに1983年をピークにウィスキー自体の消費も下降傾向をたどっていくことになります。

これに危機感を感じたのはウィスキーの大御所であるサントリーでした。消費が伸び悩んでいるはずのウィスキーが東京のとあるお店でよく飲まれていることを調べてみるとハイボールという形で売られていたのです。ウィスキーを改めて飲んでもらうためにハイボールという形で販促活動を開始します。

しばらくして、これが功を奏し人気が人気を呼んでいくことになります。今では「チューハイ」も「焼酎ハイボール」と略称をほどいて呼んだり、スパークリング日本酒を「日本酒ハイボール」と呼んで売ったりするほど、ハイボールに対する一種のブランドが確立されつつあります。

◆ハイボールの語源
ウィスキーのソーダ割り=ハイボール、という名前になかなか結びつかないのですが、ハイボールという言葉の語源として大きく2つの説があるといいます。

説1:アメリカの鉄道にて
棒の先に金属製のボールが上がっていれば青、上がっていなければ赤という「ボール信号」があったそうです。駅員の人はとなりの駅にあるボール信号を望遠鏡で見ながらウィスキーを飲んでいて、ボールが上がる(これはハイボールという)と、列車がくるのでホームに駆けつけました。そのときの駅員が飲んでいたのがウィスキーのソーダ割りだったといいます。

説2:スコットランドのゴルフ場にて
ある紳士がスコッチを飲んでいたところ、打ち上げられたゴルフボール(ハイボール)が飛び込んできたそうです。慌ててしまった紳士はスコッチを水で割るところを誤ってソーダで割ってしまったのですが、意外にもこれがおいしかったので広まったといいます。

どちらも、ことの真偽は分かりませんが、今世界でハイボールという言葉が使われていないところから考えると、もしかしたら日本人が考えついた名前なのかもしれません。そんな語源を考えつつお酒を楽しむのも悪くないでしょう。

◆森の中のウィスキー蒸溜所
そんなハイボールのもとになるウィスキーですが、メトロミニッツにサントリーの白州蒸溜所が紹介されています。山梨県北杜市にある白州蒸溜所は周囲を深い緑の山々に覆われていて、その中でシングルモルトウィスキー「白州」が作られています。

以前、北海道余市にあるニッカウヰスキー北海道工場余市蒸留所を訪れたことがあるのですが、この白州蒸溜所はまた違った趣を感じることができます。周囲の森から発酵段階では森からやってきて樽に棲みつく乳酸菌が、熟成段階では樽の中の原酒が呼吸をする森の湿潤な空気がウィスキーを育てていきます。

このように仕込み、発酵、蒸溜、熟成のほとんどすべての工程で、森や近くを流れる清流からの恵みを受けているのです。その生きているウィスキーを最高の商品にする最後の砦は人。人と環境が整ってこそ、最高のウィスキーを作ることができることを教えられます。


おいしいものは、最高の場所で最高の人によって作られる。大量生産で手軽に手にすることができるものがあふれている今だからこそ、こういうてまひまかけたものに貴重な価値があるのです。そんな作り手の心を感じながら、一杯のハイボールを飲んでみてはいかがでしょうか。

【参考】メトロミニッツ No.093


コスモスの影にはいつも誰かが隠れている

2010年6月 23日 By: ぺんぺん Category: ブックレビュー No Comments →

はじめて藤原新也という方の文章に出会ったのは、東京メトロ構内で配布しているフリーマガジン「メトロミニッツ」の最後のコラムでした。情報が無限に広がる中彼の文章を読んでいると、その時間だけ自分の時間に没頭することができる、そんな不思議な魅力がある内容ばかりでした。

彼のコラム「撮りながら話そう」は、始めに文章に関連する1枚の写真と、その後に続くコラムから成り立っています。コラムの内容は一言で言うと「日常に潜むほんの小さな心の葛藤を切り取った物語」であると言えるでしょう。

そこに登場する人々は、誰にでもあるような日常の生活の中の出会いや別れ、そして死を意識した思いをするのですが、それが藤原新也という人物を通じると、すごく感動的で心の奥底にまで届くような圧倒的なものとなって心を揺さぶるのです。

その「撮りながら話そう」から藤原さんなりに選んで加筆追加したものが、「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」になります。

この本のあとがきで、藤原さんは次のような言葉で本を締めくくっています。

「人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに彩られながらも、その哀しみや苦しみの彩りによってさえ人間は救われ癒されるのだという、私の生きることへの想いや信念がおのずと滲み出ているように思う。」

この言葉は、すべての内容に共通しているように思えます。生きることへの想いは、決して楽しいことばかりではありません。つらいことや苦しいこと、本当にこの生き方は正しかったのだろうと思い悩む姿を通じて、考えさせられることも多くあります。

でも、本書を読んで苦しくなるのではなく、心揺さぶられる気持ちになるのは、人間が持っている根源的な心理がそこにはあるからなのかもしれません。読み終わった後には、心がなぜか温まってくるのです。

非常に読みやすい短編となっているので、すっと読むことができると思います。願わくは、「撮りながら話そう」のなかで「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」に載せることができなかったものを続編として期待したいと思います。

あなたも、静かな感動と心の中に広がる生きることへの想いを感じてみませんか?


コスモスの影にはいつも誰かが隠れているコスモスの影にはいつも誰かが隠れている
(2009/08/28)
藤原 新也

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広告を広告らしく見せないメトロミニッツ

2010年6月 08日 By: ぺんぺん Category: 日記 No Comments →

毎月20日に東京メトロの駅53駅に備え付けられている専用ラックに置かれるフリーペーパーがあります。そのフリーペーパーは、前日の19日から配布されているのですが、2日程経過するとすでにすべてが”完売”状態となっており、1冊も残っていない状況になります。うっかり取り忘れてしまうと、もう読むことすらできないのです。

そのフリーペーパーは「metro min.」(メトロミニッツ)です。東京メトロを利用する20代から30代のはたらく人を対象としたこのフリーペーパーは、「少しだけ見方/捉え方/考え方を替えてみよう!」というメッセージを常に持っていて、日常をほんの少しだけ違った角度から楽しむことができるように記事が構成されています。

例えば、夜に一杯飲みにいくお店を「昔ながらの女将さんがいる」お店という角度から探し求めたり、六本木で癒されることを目的にした場所やお店の紹介など、どこでどのようなことをしようという1つのテーマに沿って、記事が並んでいます。

そしてそれらの記事は、そのほとんどが広告になっていることが注目すべき点です。記事自体の8割は編集者の思いやライフスタイルに関する提案でとても広告とは思えないような読み物となっていて、残りの2割がそのお店やイベント、商品の紹介部分になっています。その紹介部分が記事の中にうまく融合していて、読者としては商品を押しつけられた感じが全くしないのがこのフリ-ペーパーのすごいところなのです。フリーペーパーのなかでここまで完成度が高いのは、なかなかお目にかかれないと思います。

この記事と宣伝したい内容をうまく融合して全体として1つのテーマを掲げて、読者に提案する形は、広告全体が飽和していて読者が拒絶反応を示す中で非常に有効な手法といえると思います。リクルートが発行しているR25というフリーペーパーもありますが、あれは完全に読み物部分と広告部分が分離されています。読み物自体はすごく興味関心を惹きつける内容で無料以上の価値を提供してくれているのですが、広告部分の効果だけみると、メトロミニッツの方が上だと思います。

このメトロミニッツを発行しているスターツ出版は、Metro min.(メトロミニッツ)のiPhone/iPod touch/iPad対応の電子雑誌アプリを、App Storeにて発売しています。最新号は無料でバックナンバーは115円かかるそうです。バックナンバーを有料で提供できるだけのコンテンツの価値があるという現れでしょう。

メトロミニッツは最近、全面リニューアルしました、それによって、これまで連載していた藤原新也さんの「撮りながら話そう」や、 山田五郎さんの「MADE IN TOKYO」が無くなってしまったのが非常に残念です。藤原さんの短編記事に対して読んでいる電車内で涙し心動かされ、山田さんの東京生まれ東京育ちのものへのトリビアに新たな発見をしたりすることがないのは、それ以前から楽しみにしていた自分としてはなんだか穴があいてしまったように思えます。藤原新也さんの「撮りながら話そう」については、その内容をまとめた「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」と本があるので、是非おすすめさせていただきます。日常にある人の想いを感じることができるすばらしい内容だと思います。

内容としてすべてを1つのテーマで埋め尽くすのではなく、上記のようないくつかのコンテンツが集まることによって、1冊のフリーペーパーへの思いや印象をよりたかめることができるのではないでしょうか。1足す1が2以上の価値を生み出す、そんな以前のような強烈なサブコンテンツの登場を願ってやみません。

【参考】
・メトロミニッツ http://www.metromin.net/
・ガジェット通信 http://getnews.jp/archives/62281

コスモスの影にはいつも誰かが隠れているコスモスの影にはいつも誰かが隠れている
(2009/08/28)
藤原 新也

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ツインカップ

2009年4月 24日 By: ぺんぺん Category: 日記 No Comments →

マイセン

何度か紹介している東京メトロの駅で配布しているフリーペーパー「メトロミニッツ」の中の一コラムである「撮りながら話そう」はいつも読み手の心を揺さぶる物語に溢れています。自分がこのフリーペーパーを読むのが楽しみに20日を待っているのはこの記事があるからこそなのです。

いつかこの記事をまとめて本にしてほしいと思うくらい、その内容の完成度はかなり高いと思います。今日は今月号に掲載された「ツインカップ」を紹介します。



千葉県は房総半島の国道127号から外れたところにぽつんとある喫茶店「カフェ・恵」。

家はバラック建ての粗末な平屋建てで、店内には白いワンピースにアプリコット柄の前掛けを羽織った色白の30代とおぼしき女性と、逆に色黒のがっちりとした精悍な感じの男性がそろって、「いらいっしゃいませ」と人の心に染みいるようなデュエットで迎えてくれます。

カウンターの上のガラスの陳列ケースには2つのコーヒーカップが仲良く並んでいます。そこに書かれていたのは「meg」と「hide」という文字。店の風貌とは異なり、そのカップはマイセンのものでした。

数年後に再度立ち寄った「カフェ・恵」に小さな変化が起こりました。「meg」のカップだけがないのです。しかし2人はいつものようにそこにいたのです。

数ヶ月後に訪れると、「meg」のカップだけでなく「meg」自身もいませんでした。hideに問いかけると「ずっと患っていた乳ガンが3ヶ月ほど前、肺に転移し入院しておりまして・・・・」とのこと。

さらにその半年後、「カフェ・恵」のあった場所はアスファルトの駐車場になっていて、その周りには秋の日差しのもと、たくさんのアメリカ泡立ち草の黄色い花が風に揺れています。

「いらっしゃいませ・・・」

不意に、あのデュエットが聞こえたような気がしました。



本当に短い小説なのですが、この二人はおそらく夫婦だったのでしょう。ずっと二人の夢だった喫茶店を開くことができ、奥さんであるmegも旦那さんであるhideも幸せだったに違いありません。

そんな彼らにも運命は残酷にも降り注ぎます。この後旦那さんはどうしたのかは分かりません。どこかで奥さんの想いをつなぎ続けているのかもしれません。そんなストーリーが次々と頭に浮かんでは消え、なんとなく切なくなってしまうのが、作者である藤原新也さんの作品なのです。

【参考】metro min. No.078


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星の写真館で逢えた人

2009年1月 31日 By: ぺんぺん Category: 日記 No Comments →

満天の星 あなたにとって、今一番会いたい人は誰でしょうか。

その人はご健在ですか。それとも亡くなっておられる方でしょうか。

日本テレビで今放送している「宇宙で一番逢いたい人」は、そんな願いを叶えてくれる番組です。
といっても、逢いたい人はご健在の方に限りますが。

人は誰でも会いたい人というのがいるものです。その人は自分にとってかけがえのない人であり、自分という存在を輝くものに変えてくれた人でもあると思います。その人に会えるというこの番組によって、その人をより深く知ることができるすばらしい番組です。

この「宇宙で一番逢いたい人」という番組は、”現在生きている人に会うことができる”というものなのですが、それに対して今回紹介したいのは東京メトロの駅で配布しているフリーペーパー「メトロミニッツ」のなかでコラムを掲載している作家の藤原新也さんによる作品です。一部引用させていただきながら紹介させていただきます。

藤原さんは今年の初夢のなかで不思議な体験をされたそうです。以下その夢の中の話。

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気がつくと登山をしていた藤原さんは、その頂上に「天国写真館」と書かれた洋館を見つけます。不思議に思いながらもドアをノックすると女性が英語で「Come in」と言ったそうです。

中に入った藤原さんは、やがて自分の名前を呼ばれます。

「ミスター・フジワラ」

そこで先ほどの女性はこの写真館を説明し始めるのです。「この写真館はお亡くなりになられた方たちのどなたかをお選びになってご一緒に記念写真を撮ることを斡旋しています。」

女性が壁にあるスイッチを押すと天窓が開き、そこには満天の星空が広がります。

「あのたくさんの”来世星”のひとつひとつで死んだ方たちが暮らしているのです。当写真館では”アインシュタインの扉”というものを用意しており、その時空と次元を超越した扉をくぐると瞬く間にあなたのお望みの星に足を踏み入れることができます」

藤原さんは迷いながらも自分の両親を選択したそうです。すると女性は検索を始め満天の星空の中から藤原さんの両親が暮らす一つの星を見つけ出します。その星にいって写真を撮れるのですが条件がひとつ。それは滞在時間が5分間だけであるということ。それをやぶるとその星の住人となってしまい、帰ってこれなくなってしまうというのです。それを受け入れた藤原さんは両親のもとへの行くことになります。

「おう、シンヤじゃないか!」
「シンヤちゃん、よう来たねぇ!」

両親はにこやかに立っていました。母が涙声で「・・・・・元気にしとんのかね」といいます。藤原さんは2人の肩を抱き、うなずくだけで声にならならなかったそうです。

しかし、ゆっくりはしていられません。老人写真師にせかされながらカメラの前で記念写真をとりフィルムを渡され、帰らなければならないときがやってきます。

「元気で!」

「シンヤも元気でのう!」
「さようなら。さようなら!」
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思わず涙ぐんでしまいました。一生のうち1回しか使えないとしたら誰に会いに行くでしょうか。歳をとるたびに逢いたくなる人は増えていきます。その中には自分にとってかけがえのない人は1人に絞ることができないほどいることでしょう。そう考えると、歳をとることは実はとても素敵なことなんじゃないかと思えてきます。


【参考】メトロミニッツ No.075 藤原新也 「撮りながら話そう」より

メメント・モリ
(2008/10)
藤原 新也

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